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日本が日本であるために

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「橋下徹入閣説」や「9条2項据え置き改憲」に見える大衆的改憲論 


 私は、「日本国憲法」というものは、
 
「日本という天下観を時間制限つきにすることと引き換えに、一時一時のニホン人が(属)国民主権のウマ味を当たり前のものとしてしゃぶりつつも、イイ人であるフリをしておくための章典」
 
 と見ています。

 
 つまり、日本国憲法とはクソッタレ憲法なのです。
 
 
 ただ、しかし、だからと言って、
 
「憲法が改正されればなんでも良い」
 
 というわけにはいかないに決まっています。


20170612142005336.jpg


 とりあえず、前提の確認から。

 日本国憲法をどーにかするには理論上、以下の二つの道筋があります。


X 憲法を「超法規的」に廃止する

Y 憲法96条の「改正条項」に従い法的に改正する


 まず私は、Xの「超法規的」な議論がもっと必要だと思うし、それには「暴力による解決」の可能性も、真剣に考えられられていなければならないと思います。

 そもそも、「日本国憲法」が暴力によってしつらえられたものならば、原理的にはその廃棄もまた暴力によってしか成されようもない……ということは、三島由紀夫のクーデター未遂を持ち出すまでもなく、いわば「人類普遍の原則」であり、個人の良心、ヒューマニズムに問えば、ある種常識的なことであります。



 ただ、暴力は痛いし、人を殺すのは怖いので、今生きている我々はイモを引いてヤれていないというだけのことでしょう。

 また、実際に暴力行動を起こしてもいない者がいくら「憲法を廃棄するための暴力」を訴えても、キャンキャン吠えてるだけという話になってしまう……という難しい問題もある。



 ですから、「政治」が法の論理の延長線上で働き、「政治家」の存在が日本国憲法に依拠するものである以上、やむをえず

Y「96条の改正条項」

 に従った改正の議論も経路のひとつとして考えなければならない……というところまでは認めざるをえないでしょう。

 そりゃあ一瞬一瞬の短期的な現実を継続して執り行うための「政治」や「政治家」の「現実」も、とても重要なものだからです。



 しかし、それでも「96条の改正条項」による改正というものは、理論上「日本国憲法の論理の中での憲法改正」に閉じ籠ったものである以上、それ相応の危険性……すなわち、

「日本国憲法を、より日本国憲法にする危険性」

「(属)国民主権の都合を事後承認してしまう危険性」

 を孕むものであることがわかられていなければなりません。



 そういう意味では「96条改正条項」での憲法改正の議論でもやはり、

「本筋であれば、日本国憲法は暴力によって廃棄されるべきである、けれどもそういうわけにもいかないから……」

 という前提を「常識」として共有した上で議論されて然るべきなのです。


 ◆


 さて、そこまで確認した上で、改正条項を見てみましょう。

 皆さんご存じのように、改正条項で謳っている改正の要件は、

・衆議院と参議院の両方で3分の2以上の賛成が必要

・国民投票で過半数の賛成が必要

 ということになっています。



 ここで、まずよくよく考えていただきたいのは、前提がこのような場合、思考経路としてはまた二つの道筋が生じてくるということ。


 すなわち、


a 「~という改正が必要」
   ↓
 だから、
「衆参3分の2」と「国民投票の過半数」を得なければならない」


b 憲法改正には 「衆参3分の2」と「国民投票の過半数」を得なければならない」
   ↓
 だから、
「~という改正にしなければならない」


 という二つの経路。



 で、もし憲法改正議論が「b」の道筋に堕せば、必ず「大衆迎合」が起こることは火を見るより明らかでしょう?

 だって、

「憲法を改正することそのもの」

 が目的化すれば、

「衆参3分の2と、国民投票の過半数を得ること」

 が、目的化することと同義じゃないですか。


 ◆


 そもそも、言うまでもなく「政府の目的」とは、

「狭くなる地球の中で、日本国家を千年先まで継続させようとすること」

 でなくてはなりません。
(※実際には200年先までも続かないとは思いますけれど、「続かせようとすること」にのみ政府の最終的な大義があるということ)

 ですから、憲法をどーにかしようとするその内容もこの大目的に資するものでなくてはならないはず。

 が、

「衆参3分の2と、国民投票の過半数を得るため」

 が目的化してしまうと、むしろ本来の目的を棄損してしまう可能性が非常に高くなる。

 と言うのも、
1「衆参の3分の2を無理矢理まとめようとする力学」
 や
2「国民投票で過半数を動員する大衆迎合の力学」
 が、国家の大義からの乖離として働く危険性が容易に推察できるからです。

(言い換えれば、96条による憲法改正という「強い民主主義」が「国家を棄損する」ということ。)


 ◆


 もちろん、「bの現実」を踏まえての「aの理想」でなければ、

「じゃあ暴力でやれば?」

 という人類的原則論へ戻ってしまいます。
(結論としてそれならそれでも良いですけれど)



 ですから問題は、
「衆参3分の2と、国民投票の過半数を得るため」
 という「目的化」に、どれほどの行きすぎがあるか……つまり、「理想」と「現実」の間で、どれほどの「偏り」が認められるかということになるでしょう。



 で、私から見ると、昨今のそれは明らかに「現実主義」とも言える傾きを強くした改憲論がばっこしているように見えます。

 しかも、それは単に中国や北朝鮮、テロの驚異から

「俺の生命と財産を守れ!政府!」

 と言うだけの「一人一人の日本人の短期的な都合に『迎合』する」という意味での「現実」であるがゆえに、「日本を千年先まで続けようとする」という「日本国民の義務」に反する改憲論である可能性が非常に高い。



 その証拠として提出できるのは、



 官邸の「日本維新の会」との連携に下心を見せ続けている政治的態度。


 安倍首相の言う、
「9条2項を据え置いた上で自衛隊を明記する」
 という属国体制を事後追認する改憲論の内容。

 ……が上げられます。



 Aは 、1「衆参の3分の2を無理矢理まとめようとする力学」 に対応し、

 Bは、 2「国民投票で過半数を動員する大衆迎合の力学」 に対応する。


 その結果、

 Aで「手続き的」に国家を棄損し、
 Bで「内容的」に国家を棄損する改憲論に成り下がっている

 ……と、評すのがだいたい正しい表現のような気がします。


(了)

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