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内閣支持率を調査するという不道徳   


 安倍内閣の支持率は未だ高い水準を維持しているらしいですね。
 
 加計学園問題で少し下がったらしいですけれど、毎日新聞以外ではそれほどでもないという。
 
 たぶん、世の中の大多数の人は安倍さんしか政治家の名前を知らないので、(あるいは、「世の中の大多数の人は安倍さんしか政治家の名前を知らないだろう」と大多数が見ているので)
 
「他にやれる人がいない」
 
 などと思うのでしょう。
 
 本当は、他にやれる人がいないだなんてことは絶対にないと思いますけれどね。
 
(もちろん、安倍さん以外なら誰でもイイというわけにはいかないし、政党としての政権担当能力という意味で「自民党政権であること」は必要条件ですが)
 
 
 
 でも、そーゆー具体的な話の前に、そもそもこうして
 
「内閣支持率を調査すること」
 
 そのものが議員内閣制の下では「不道徳」であるということを我々は知らねばなりません。
 
 我々の犯してきた多くの間違いは、8割方こうした「前提」からして間違っていることから発生しているはずだからです。
 
 
 カメラ

 
 
 言うまでもなく、我々は議員内閣制度の前提で国家全体の政治をまかなってきました。
 
 議員内閣制度とはすなわちこういう話です。
 
 
 
1 まず日本国民全員が各選挙区などから「国会議員(立法府)」を選ぶ。
 
2 で、その国会議員が「内閣総理大臣」を選出する。
 
3 天皇が内閣総理大臣を任命する。
 
4 内閣総理大臣が「内閣(行政府)」を形成する。
 
 
 つまり、我々一人一人が配分されていて然るべき政治権力は、1の「国会議員(立法府)」を選ぶというところ「のみ」のはずなのです!
 
 
 なぜこんなふうにするかと言えば、大きく分けて二つあります。
 
X 「立法府」と「行政府」の連絡を担保するため。
 
Y 「民主主義」に「間接性」を担保するため。
 
 です。
 
 
 
 今日は特に「民主主義に間接性を担保する」ということに着目しましょう。
 
 上記のように、議員内閣制度では、国民の一人一人が「直接」に「行政」へ介入しないようにすることが可能です。
 
 つまり、「直接民主主義」を制限し、民主主義に間接性を保たせる工夫なのですね。
 
 だから、そもそも国民の一人一人が総理大臣を直接的に「支持する」とか「不支持だ」とかピーピー述べ立てては、せっかくの間接性がだいなしでしょう?
 
 
 
 この、「だいなし……」ということの意味をもう少し具体的に詳らかにしてみます。
 
 たとえば、ある時に内閣支持率が高水準だったとする。
 
 すると、
 
A「内閣総理大臣や党執行部」
 
 と
 
B「国会や自民党」
 
 という力関係において、Aの力が「世論の支持」の背景を背負って増大します。
 
 
 つまり、例えば「内閣総理大臣が世論で人気のようだ」となったら、「党の意見」をある程度無視してしまえる。
 
 とりわけ小選挙区制度が採用されてしまっている現在では、「党の存立」そのものが「内閣総理大臣の人気(内閣支持率)」の如何によって左右されてしまうケースが多くなってしまっています。
 
 
 この場合、「党内の意見」の方も各選挙区や産業既得権益の代表(政党=Party)という意義をきれいサッパリ忘れて、内閣総理大臣が人気を得ている内容に沿うよう屈服するようになる。
 
 とりわけ、政治資金規制法の改正後は、政党助成金や党の公認が非常に大きな意味を持つようになってしまっているので、すなわち(総裁を中心とした)党執行部の権限が増大していることになっています。
 
(政治資金規正法の問題は、「政党をまかなうために税金が使われるなんてオカシイ」みたいな安っぽい話ではないんです!)
 
 こうした状況では、内閣総理大臣は、党や国会の力を排除するために、「内閣支持率(世論の人気)」を得ようとする。
 
 というか、そうせざるを得なくなっていて、逆に「内閣支持率(世論の人気)」を得ていない内閣の政権基盤は極端に脆弱になってしまっていたし、党そのものの存立にも大きくかかわってきてしまう。
 
(くどいようですが、小選挙区制度を採用してしまったのでより一層!)
 
 言い方を変えれば、そーゆー内閣総理大臣でなければ、一定期間政権を維持できなくなってしまっているのです。
 
 
 
 でも、これってようするに事実上は「首相公選」と何ら変わらない、世論による直接的な民主主義が実現されてしまっているということになるでしょう?
 
 つまり、「世論の圧倒的なパワー」が「内閣総理大臣」を支配し、「内閣総理大臣」が「自民党」を支配する力学が大きすぎるので、結局のところ世論が直接政治を執ってしまっているのと何ら変わりのないことになってしまっているということです。
 
 
 
 そして、むしろ
 
「それでいいのだ」
 
 としてきたのが、平成のインテリ連中であり、政治制度改革に乗っかって来たすべての大人たちであり、民主主義者たちなのです。
 
 すなわち、自民党の部分部分の意見を排除して、世論が直接政治に介入するのを「進歩」として前提してきた、「ナチュラルな民主主義者」たちです。


 ◆


 このことがまず不道徳であった……という反省から始めなければ、安倍首相の問題も何も解けないのです。
 
 すなわち、本来我々一人一人は「内閣、行政」へ直接口を出すケンリなどないのであるが、首相を中心に内閣、行政の方が「世論全体の雰囲気を直接導入する気配」が濃厚であるならば、そのことを糾弾する限りにおいて万やむを得ず直接糾弾しないわけにはいかない……というのが現状最も正当性のある組み立てではないでしょうか?
 
 そして、この正当性を担保するためには、それこそ是々非々というか、「腑分け」や「論理」「そもそも論」など言葉にこだわる必要があり、「乱暴を避ける気力」を手放さないことが求められるはずなのです。
 
 だって、簡単に言えば、
 
「安倍首相が乱暴を言うからと言って、私が乱暴を言って良いという話にはならない一方、乱暴を乱暴と言わないと世の中オカシなことになる」
 
 のであるし、そういうことの基準は、例えば議員内閣制度とか、過去の制度や構造を引用し、そこから現状いかに逸脱しているか、またどこまでの逸脱が不正当と見積もられるべきかを丁寧に論理立てられて初めて生じるはずでしょう。



(了)
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