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2017年衆議院選挙を前にして(2) 


 例えば、このたびの選挙も同様です。
 みなさんが現政権を支持しているか不支持しているか、何党を支持しているか……は存じませんが、まず我々の一人一人には、
1「具体的な政策」
2「誰が首相なのが良いか」
 といったものを直接選ぶケンリなどないのです。

 まず我々は普段の仕事が忙しいのであり、このように膨大な国家の複雑に互いが絡まり合う諸政策について、全体的に把握し、具体的な政策論を適切に構築できるようなヒマなどあるわけはないでしょう。少なくとも私にはありません。
 また、日本国憲法がなんと言おうと一人一人の人民のケンリは国家を存続するのに資するぶんだけ制限してしかるべきだし、その日本国憲法でさえ、議員内閣制を前提としているのだから、首相は「各地の国民が選んだ代議士……が選んだ者」を天皇が任命してその権威を付与する健全な間接性を担保しうるものなので、「我々一人一人が直接的に首相を選択してしまう力学」は議員内閣制度の健全性すら毀損していることになるのです。

 まあ、私個人は別に安倍首相長期政権が「ベターな解」であるとは思っていません。
 安倍首相は、保守層からの支持以上に、インテリ知識人の雰囲気に迎合して「規制緩和」と「グローバリズム」へ傾きがちであり、規制緩和論とグローバリズムに傾きがちであることの背景には「100%の日米同盟」への依存度の高さを容認しすぎという部分があるのであり、日米同盟への依存度の克服を視野に入れない憲法改正論では、むしろ国家の独立を毀損する可能性が高いというふうに私個人は思っています。その証拠に、アメリカが「失望」すれば、靖国神社へは露ぞ参拝しなくなるのであり、また日韓合意というものがされてしまった背景には当然この力学があるに決まっているでしょう。
 さらに言えば、安易な規制緩和論とグローバリズムは、そのこと自体が、国民の帰着する産業や共同体を破壊するのであるから、国家そのものを空洞化させる力学にもなる。また平成の30年ほどの国力の凋落も「日米構造協議」以降の構造改革路線が、バブル後の長期デフレと絡まりあって起こったのであるから、日本の国力の増進という観点から見ても安倍首相が最適解であるかはかなり疑わしい部分がある。もちろん、アベノミクスという経済政策には「経済に対する強い国家の介入」の可能性があったわけですが、現状はそれも規制緩和路線の焼き回しにより不十分な形に終始してしまったという印象です。

 でも、それは単なる外から見た私個人の見立てであり、私の見立ては間違っているのかもしれないのであり、そうである以上、私の選択権はある範囲で制限されていなければならないということでしょう。

 ですから、「選挙で政権にお灸を据える」というような選挙に対する大衆的な態度にも、私は全然賛成できないのです。
 それはつまり、
「多数の人間が政権の『信任、不信任』を選択することによって、権力に鎖を付ける」
 というような民主主義的な考え方を容認することになってしまうからです。

 もちろん、権力を制限することは「ある程度は」必要なことでしょう。
 でも、その制限するケンリが、何故「多数の人間の選択の集合したもの」なんかに付与されて良い……と前提しているのですか?
 権力の制限は、あらゆる位相の分権的な権力均衡によってなされるべきものです。
 もちろん、その慣習的に分権された勢力均衡を、「首相(総裁)に集中した権力」でもって打ち破ってしまうのが安倍首相なのですけれど、だからと言ってこれに対するパワーとして「多数の人間の選択の集合したもの」にケンリを設定してよい……というわけにはいきません。
 そもそも、昨今の「首相(総裁)に集中した権力」というものも「多数の人間の選択の集合したもの」によって形作られてきたというのが平成の歴史だったではないですか。すなわち、リクルート事件その他の疑獄事件について白も黒も、ミソもクソも、一緒くたに、腑分けなしに、ピーピー芸能不倫スキャンダルを騒ぐがごとく、自民党をイジメ尽くした結果、「政治制度改革」というものが世論的に礼賛されるようになった。
 そして、政治制度改革とは「小選挙区制度」と「政治資金規正法」であり、これらが「自民党や派閥、族議員」に対する「総裁、党執行部」の権限を強化することになり、そして、そのことを小泉政権では「自民党をぶっ壊す」とて国民をあげて礼賛していたではないですか。(今風に言えば、シガラミからの脱却というヤツでしょうか?)

 つまり、少し前の「多数の人間の選択の集合したもの」によって「首相(総裁)に集中した権力」が形成され、加藤の乱などを経て、小泉純一郎という徹底した存在が現れ、その末裔として安倍晋三があるのに、また「今の多数の人間の選択の集合したもの」によってこれを打ち破ったとしても、最高でも同程度の邪悪性を有するものであろうし、そもそも「少し前に選んだ自分たちの選択」にちっとも責任を感じないばかりか、記憶にすらとどめていないような連中に、そんな好き勝手に行使できるケンリが付与せれていて良いと考えるのは傲慢にもほどがあるでしょう。


(続く)

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