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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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橋本維新の否定と、民主主義を自発的に制限することについての推奨 

 俺は、橋本維新の会を否定する。
 それは、維新の会の唯一にして最大の理念である『中央集権の打破』という基本理念が、根本的にガキであるからだ。


 中央権力というのは、現代の人間の中で最大の集団である『国家』の政治権力のことである。
 我々は、国家という最大の単位で纏まって、中央に権力を集中させているからこそ、経済力、軍事力、外交力、貨幣力、社会資本力などなどを『強大なモノ』にしているのだ。
 我々が享受しているありとあらゆる権利は、その『強大なモノ』の上に成り立っているのである。また逆に、『強大なモノ』は、国家としての纏まりによって担保されているという相互依存関係があるのだ。
 そして、それを『国力』というのである。

 これはある種の常識だ。

 だけど、その常識を嫌がる者が必ずいて、その受け皿が民主党から維新の会へ移っているにも関わらず、今回の衆議院議員選挙ですら比例だけで40もの議席を与えてしまう、日本国民の盲目さを懸念するのである。
 もっと具体的に言えば、七月の参議院選挙に邪悪なる世論の熱風が吹くとすれば、維新の会へ吹くだろうという悪寒だ。

 橋本氏的に言えば『中央集権の打破』、石原氏的に言えば『自民党と官僚政治の打破』、こういった「既存の政府権力への反抗」は、退屈している浮動票の心を打つからである。
 もっと明快に言ってしまえば、大衆はアナーキズム(反政府)の甘露に酔っぱらうものだ、ということだ。

 つまり、既存の中央権力である『自民党』と『高級官僚』は悪い奴らで、それを懲らしめて権限を奪わねばならないーーという、思想経路なわけだが、だけどこれって、ベタな時代劇とかヒーロー物とか漫画とか、そういう物語のテンプレートを、現実にまで適応してしまっている、とてもガキな思考回路じゃあないか?
 大の大人の人の考えとは思えないのである。

 つーか、彼ら維新が本気で言っているのか、それとも、日本国民にあまりにもガキが多いからそのガキさに合わせて物語性を演じて人気取りをしているのか、どちらかはなかなか判断が付きにくいというのはあるけれど。



 そもそも、国家があって、その中央に敷かれている権力体制の『既存』なるものは、なるべく変わらないでいてくれた方が良いに決まっているのである。それが、長く続いた体制であればあるほど、なるべく体制を崩さず、変革は少しづつ慎重にやっていかなければならない。何故なら、権力構造が「既存」してくれているということは、その一方で、国家のあらゆる前提がその権力構造の上に成り立っているという事であるからだ。換言すれば、権力が「既存」しているということが、『統治の恩恵』を保持する大前提なのである。

 なにか、権力構造が断続的に「交代」あるいは「変革」された方が、「権力者に縄をつけられる」から、民主的であるみたいな事を考えている人間が非常に多いわけであるが、それを正に『ルソー的な革命思想』と言うのである。
 中央権力構造を、「打破」するのは、その時は「威張っていた奴らが慌てふためく」のを見て、気持ちよくって、民衆は熱を上げて大いに盛り上がるわけであるが、その後に待っているのは無秩序と混乱だ。
 何故なら、今までのあらゆる「前提」が一挙に前提でなくなるからである。

 それを、日本人は、「選挙制度改革の非自民連立」や、「官僚制度と自民党をぶっ壊す小泉改革」や、「政権交代の民主党」で、身を持って体験したばかりではないか。
 既存の中央権力構造を『打破』してお灸を吸えた後、返って民衆がお灸を吸えられるということになっていたのだし、そりゃそうなるに決まっているのである。

 今、去った民主党に恨み節な日本国民であるが、この三年間は「民主党が悪かった」のではなく、「民衆の革命思想が悪かった」のだということを、肝に銘じるべきだ。
 つまり、三年前の致命傷は、「民主党を選んだこと」ではなく、「既存の権力構造である自民党と官僚を打破した事」であったということだ。




 俺が、自民党や官僚を擁護するのは、自民党や官僚による中央権力構造が、「既存の権力」だからである。

 既存の権力を基本的には擁護するという姿勢、態度がなければ、永遠に政権は安定しないし、故に国家が纏まらない。
 何故なら、権力を打ち破った反権力も、権力についた途端に打破される対象になるからだ。
 打破、打破、打破、で終わり無き革命の業火に焼かれ続けるのがオチなのである。

 今、打破せねばならぬのは、むしろ「権力の打破を主導するカリスマに沸く」という日本国民に根付いてしまった少年チックな習性の方ではなかろうか。



 とは言え、その克服は多くの国、数ある歴史が、『困難である』という事を語っている。

 ただ、七月の参議院選挙も「投票率が低ければ、まともな結果が得られるのではないか」と考えている。
 つまり、世論に何か妖しげな反権力の風が巻き起こらなければ、浮動票を形成する市民達の退屈しのぎにならず、彼らは投票に行かない。家で寝ているだろう。
 逆説的に言えば、彼らが家で寝ていてくれれば、狂熱を含んだ選挙結果は生じないということだ。
 だから、俺は声を大にして言いたい。
「選挙には、無理して行かなくて良い! 」
 と。
「選挙にいかなきゃ、何かイケない気がする」
 などとせっつかれる必要はない。
 無理矢理『国政に対する自分の意見』などというものを発揮しようとして、結局反権力的大衆世論に寄り添うーーのであれば、迷惑なので家で寝ていてもらいたい。
 どうか、
「何か今回の選挙は騒ぐ争点がないから、行かなくていいや」
 と、思っていて欲しい。(『争点』など、全体へ目を向けなくさせるだけで、百害あって一理なしだし)
 切なる願いである。

 昨今、「投票率は高くなければならない」という風潮があるが、それは間違っている。それは、「より多くの人間の多数決の方が正しい意見になる」という謝った前提の上にしか成り立たないからだ。



 投票率を低く抑える事ができければ、七月には自民党が勝つだろう。
 逆に、投票率が高ければ、橋本維新に勝つ可能性が出る。

 何故なら、本来家で寝ていた人々が、わざわざ投票へ足を運ぼうとする理由は、世に「権力へのリンチ」の風が吹いて、「退屈しのぎになりそうだと思って加わろうとする」というもの以外にあり得ないからである。

 そういった、本来家で寝ていた人、つまり郵政に酔った後に政権交代に酔った種類の人達に対しては、「選挙なんて、行かなくていいさ。面倒だろ? 」と優しく囁いてやるのが吉だ。
 「良心的兵役拒否」というものがあったくらいなのだから、「良心的選挙権拒否」というものを提唱してもバチは当たらないだろう。


 今必要なのは多数決ではなく、逆に「民主主義を自発的に制限する」事なのである。



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