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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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一票の格差を問題視するイデオロギーを、問題視する 

 今回は経済から少し離れて、「一票の格差問題」について。

 まず、一票の格差とは何か、という簡単な解説から。
 ここでは、非常に単純化したモデルにて例えてみよう。

 あるところに、N国という国家があった……と想像して欲しい。
 この国は人口約千人くらいで、中では10の県に分かれている。その上で、各県はそれぞれが一人づつ代表者を出し、その代表者達が議会にて国の政治について話しあっていたとする。

 代表者の決め方は、県ごとで選挙が行われていたのだが、ただ、10の県それぞれは人口が違う。

 例えば、A県には200人が住んでいたが、B県には50人しか住んでいない。当たり前だが、A県での一票は「200票の中の一票」であるのに対し、B県での一票は「50票の中の一票」ということになってくる。
 すると、A県では、200人の人間の投票で一人の代表者を選ぶのだから、各々一人に与えられた一票は200人分の1の権限しかない。だが、B県では、50人の人間の投票で一人の代表者を選ぶのだから、各々一人に与えられた一票は50人分の1の権限となる。
 つまり、人口の多い選挙区では一人が与えられている一票がそれだけ薄まって軽くなり、人口の少ない選挙区では一人が与えられている一票がそれだけ密になって重くなるという風にも考えられる。

 これが、「一票の格差」というものである。



 ……さて、ここで俺は疑問に思うわけだ。
 一票に格差が生じているという事はまぁ理解できるのだが、そもそも一票に格差があって何が問題なのだろうか、と。
 俺の頭が悪いからか、その辺りがよく理解できないのである。

 だって、例えば、俺がA県に住んでいたとして、A県は一人の代表者を議会に送り込めているのだ。そして、その代表者は、別に俺を含めた個人個人を代表しているわけではなく、「A県を代表している」のである。
 これは俺が勝手に言っているわけではなく、『議会』というものはそもそも国家の内部にあるそれぞれの組織の間の利権を調整する為にある機関なのである。
 それは、『政党』という言葉がそもそも英語で『party』という事からも伺い知れる。party(政党)とは「part(部分)の権益が集まった徒党」という意味なのだ。この『部分』とは何かと言えば、「国家の中の一部分」という意味なのである。
 そして、議会の中で話し合う代表者達の中で、またまた代表者を選んで、政治のトップ(内閣)を組織するのが、「議員内閣制度」なのだ。


 その上で考えると、この「一票の格差を問題視する姿勢」には、非常に問題かつ危険な思想が含まれているのではないかと、疑わざるを得なくなってくる。
 その「問題かつ危険な思想」とは、「一票の根拠」を「一人の人間だから」という所に置く思想の事を指している。換言すれば、「国民主権」の根拠を「人権」に置いてしまっていないかという懸念だ。

 これの何がマズいか。
 それは、この考えが、「そこにいる『人間』による多数決が、概ねベターな結論を出しうる」という架空の前提に立っているからである。
 この前提が全く空理空論で、出鱈目なのである。
 何故なら、そこにいる『人間』による多数決が、概ねベターな結論を導くーーという前提を筋立てるには、「『ベターな結論』というものが、概ねすべての人間の中で共通している」という前提が必要とされるからだ。また、その「概ねすべての人間の中で共通するベターな結論」というものの存在の為には、「すべての人間に共通する合理性」が必要になるわけだが、そんなものは無いと考えるのが妥当だし、仮にあったとしても、いかなる人間にも能力的に把握不可なはずなのである。

 もし、人間の一人一人が、全く同じ環境で、同じ組織に属し、同じ立場を持つものであれば、「すべての人間に共通する合理性」のようなものがあると仮定しても良いかもしれない。だが、現実の人間はそのようにできていない。

 N国を見てみれば、N国民の千人の中でも、色々な組織や産業に属した、様々な立場の者が存在するはずである。例えば、A県民にとっての『ベター』とB県民にとっての『ベター』は、必ずしも一致しないはずだ。
 しかし、「主権」の根拠を「人間であること」にしてしまうと、A県民もB県民もないのである。或いは、「産業の利権や既得権益を政党に弁護してもらうこと」も、「悪いことだとする」という変な理屈が蔓延してしまう。

 一体全体、このような姿勢の下での選挙は、何を選ぶ選挙だというのか。

 だって、「一票の格差を問題視する姿勢」の下では、「一票の根拠を人間であること」に置かなくては成り立たないのであり、そして、「自分の所属する地域、組織、団体、産業の利権を代弁してくれる代表者を選ぶ」という観点を否定しているのだ。

 そんな中で代表者を選べと言われても、一体どんな基準で選べば良いのかワケが分からない。
 ワケが分からないが、理屈上は次のようになる。

 統一的な合理性の基準を選ぶ選挙ーーだ。

 属性を無視した一人一人バラバラな人間に、均質で平等な選挙権を与えるーーという発想の下では、その『個々人』の間の便宜をはかるための「統一的な合理性への見解」が必要になってくることは、先ほど論じた通りだ。
 しかし、これも先ほど述べたとおり、「すべての人間に共通する合理性」なんて、人間には能力的に把握できない。そこで、一人一人バラバラな個人としての人間による、純粋な『多数決』によって、その「合理性への見解」を統一させるーーという筋立てなのである。


 しかし、現実にこれをやってしまうと、「統一した合理性」に反する立場に属する地域、産業、集団の利権は、毀損され、破壊されていってしまう。その理由は、「多数が選んだ、合理性への見解」に反しているからというだけなのに、だ。

 まあ、これだけなら、「この少数の人たちが可哀想」で済むかもしれないが、残念ながらこれでは終わらない。

 一人一人バラバラな『人間』が「人間に共通した合理性の見解」を多数決によって選ぶと、それが常に一定の見解であり続けるなどということは、まずあり得ない。
 むしろ、昨日の多数が、今日では真逆が多数、ということになるなんて事はザラにある。
 すると、その「『統一した合理性』に反する立場に属する地域、産業、集団」というのも、その時々に変わってくる。
 つまり、時流によって変わる『統一した合理性』によって破壊される対象となる国内の「地域、産業、集団」も、次々に変わっていくのだ。

 而して、これまでの積み重ねで国内に網の目のように形成されていた「地域、産業、集団」が、「その時どきの合理性への見解」によって破壊され続けるということになってしまうのである。



 俺には、世の中がそのような方向、姿勢、態度、に流れていっていることが、恐ろしくてたまらない。
 もしかしたら、明日には自分の所属する地域や産業や集団を不合理とする合理が多数派になって、自分がやり玉に上げられるかもしれないからだ。或いは、もしあの時、自分が官僚や公務員だったら、自衛官だったら、郵便局員だったら、農家やJAの職員だったら、東電の社員だったらーーといった風に考えるだけでも、震えが止まらないのである。


 だから、俺は(無駄だとは思うけれど)、「国会議員とは、地域、産業、集団の既得権益を議会にて代弁する為に存在する」と理解する姿勢、態度を、日本国民に取り戻してもらいたいと、強く訴える。
 つまり、「政治権力」の根拠を、「人間であること」に置いては誤った方向へ進んでしまうと、警鐘を鳴らしたいのだ。
 政治権力の根拠は、「一人一人の人間」にあると考えるのではなく、「地域や産業や集団」の方にあると考えるべきなのである。


 さて、最後に、これら「一票の格差を問題視するイデオロギー」の問題は、『日本国憲法』がそのように謳っていると誤解されるような文章である事が、最も大きな要因だという事を指摘しておかなければならない。
 それは、『国民主権』と『基本的人権』という理念の文脈のことである。

 日本国憲法の問題では、よく「九条二項」にスポットを当てられているわけだが、本当に問題視すべき危険な所は、この『国民主権』と『基本的人権の尊重』という理念なのだ。

 もし、『国民主権』と『基本的人権』の理念が、別々に語られていたとすれば、大した問題にはならなかったのかもしれない。だが、この二つがセットになって、「国民主権の根拠が、生まれながらに一人一人が持つ人間の権利である」かのような文脈になっていることによって、この憲法全体が非常に凶悪なものに仕上がっているのである。

 この凶悪な理念は、『日本国憲法』が制定されたばかりの戦後では、まだ一部のインテリ達の理屈でしかなく、日本社会のありようで前面的に発揮されてはいなかったように思える。何故なら、社会全体の有り様は、慣習やシガラミと密接に結びついているため、何か別の理念をもって一朝一夕で変質させるなんてことはできないからだ。もっと簡単に言えば、「戦前、戦中に生きた人々が、戦後一瞬にして別の人間に総入れ替えしたわけではない」ということである。

 しかし、何十年とたってくると、まさに「戦前、戦中に生きた人々」が殆ど現役世代を去っていく。当たり前だ。人間は、生まれて、歳を喰って、死ぬのである。そうなると、何十年単位のスパンにおいては、国家の民は総入れ替えをしているということになる。

 そして、ここ二十年あまりの日本の停滞は、「日本国憲法の理念がマトモである」とする教育や、インテリのすべからくがそのようにのたまう社会の中で育った者しか、現役世代に残っていない事による当然の帰結なのではないか。
 つまり、日本国憲法の理念、「国民主権の根拠を、人権に置く」というスタンスが、日本社会で発揮されるようになってしまったから、停滞していると主張したいのである。


 であるから、今必要とされる態度は「一票の格差を問題視する態度」ではなく、むしろそういった空理空論を否定し、「シガラミや、コネや、世襲や、既得権益といったもので結びついた国内の小集団ごとに代表者を選ぶ」という態度なのである。
 それができずに、「国民主権の根拠を、人権に置く」という筋立てから脱却できなければ、平成の御代に入ってからの日本のあらゆる問題が収束せず、「地域、産業、集団」というものを破壊していく病理を疾患し続けることとなるであろう。



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コメント

1票の格差

一票の格差についてのニュース報道をよく見ますが、いつも抱く疑問があります。
1、なぜ2倍を基準にするのでしょうか?誰が決めたのですか?本当に投票の価値の平等を求めるのであれば1倍を目指すべきです。
2、何のために目指すのでしょうか?単なる国会議員を選ぶための価値でしょうか?選挙とは自分の意見を実現化してもらうために代わりになる人を選ぶものです。ところが現実は信任投票のようになっていて、自分がえらんだ議員が何を言い出しても”選ばれたから国民の代弁者です”ということになっています。国会議員を選ぶ価値を同じにしようというのであれば、もし投票の価値が1倍になったとしたらそれでいいのでょうか?否。投票とは自分がこうしなったらいいなと思うことを実現するために行うものです。であれば単なる国会議員を選ぶためだけの平等を求めるのではなく、政治を行ううえでの影響力の平等を求めるべきでしょう。それが政治的平等というものです。

報道を見ても単に数字を追って、国会議員を選ぶことを目的にしてその価値だけを問題にしています。しかし、たとえば二人の国会議員がいて、一人は田舎出身で5万票で当選、かたや首都圏の選挙区で20万票で当選したとします。支える国民の数は4倍違います。しかし国会での投票はどちらも1票です。すると政策決定の価値ということで首都圏の有権者の1票の価値は、田舎の1/4になってしまいます。それこそが問題です。

それを正す方法はただひとつです。国会の議決で国会議員が持っている票の数を変えることです。仮に獲得した票の数だけ議決権をもたせれば、田舎出身の議員の投票は5万票しか価値がなく、首都圏選出の議員は20万票の価値があることになり、国民の政策決定にかかわる1票の価値は平等になります。

そのような根本的なことをまったく考えないでただいたずらに数あわせだけを考える主張にはまったく賛同できません。

もし先ほどのようにしたとしたら何が起こるのか?田舎選出の議員の発言権は薄くなります。しかし、現実的にすでに都会中心になっているのですからまったく現実とは変わりません。

国家議員になることだけが目的の政治屋さんが、なりやすい田舎に落下傘候補で当選しても少ない票数しか獲得できなくて発言権が少ないことを選ぶか、本当に志を持っている人が、多くの得票数を得なければ当選できない大都市圏で立候補して、政策決定にかかわる真の力を獲得するかを考えることになるでしょう。

党議拘束や当選回数なんていうくだらないことにはしばられない、国会議員の本当の力量に応じた委任ができるのではないでしょうか?

比例代表の票数をどう割り振りするかなど、実際に考えなければならないことは多いと思いますが、このやりかたが一番単純です。

なお、もし現状のままであっても政治的平等は全く犯されていないと思います。なぜならば日本国民には移住の自由が認められていますから。いやなら引っ越せばいいのですから。現時的に引っ越せるかどうかの問題と、法理的な問題をごっちゃにしているのが、いわゆる1票の価値の議論です。法律的に縛るものがないのですから自由なのですよ。

それがわたしがこの議論を全く意味のないものだと思う原因です。

私たちは現実に生きています。学者の理屈なんかどうでもいいのです。現実に即した議論をお願います。

しゅん #yfTTNocM | URL | 2015/06/10 20:11 [edit]

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