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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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政府支出を増やして、税金を上げよう 

 今回は、GDPにおける政府支出の割合を増やして、増税をしようーーという素敵なお話である。


 勿論、今、増税をする事はあまり得策では無いことは言うまでもない。今は、デフレであり、GDPに占める最も大きな項目である個人消費が、現時点での増税によってさらに落ち込む事は火を見るより明らかだからだ。
 増税で消費が落ち込む原因は、大凡において、『気分』である。
 人々は、全て何か完璧な計画を立てて消費しているわけではないから、「税金が上がった!」「じゃあ、あんまり買うのは止めとこう……」という気分に、一斉に流れるものである。
 さらに、もう少し賢い輩は、増税から「人々がそのように買い控えるだろう」という所を予測して、投資を控える。もう一段賢い奴らは、「人々がそのように買い控えるだろう、という所を予測して投資を控える輩」が増えるだろうと予測して……とキリがないから止めよう(笑)
 当たり前だが、消費や投資という『需要』が縮小されれば、「需要に対する供給の過剰」はさらに進む。
 需要より、供給の方がより多くなるということは、これも当然だが、物価は下がるし、雇用も悪化する。
 つまり、デフレが悪化するのだ。
 増税の影響が、人々の心理に働きかけ、デフレの悪循環に拍車をかけるという事である。


 しかし、「デフレの修正に増税が悪影響を及ぼす」という話題は、何処まで行っても「短期的な話」である事を分かっていなければならない。


 税ーーというものを、長いスパンで考えるのならば、実の所、それは『政府の適正規模』を考える事と同義である。

 ここに、『日本』という国家があるということは、『政府』があり『国民』があるということだ。つまり、国家の中には、『公の経済活動』と、『私の経済活動』が在るということである。
 公の経済活動とは具体的に言えば、公務員の給与と活動だったり、軍事、警察だったり、社会福祉だったり、公共事業だったり……の事で、それらは『税』や『通貨供給量の増加分』から賄われている。すると、政府が運営する公の経済活動は概ね、『税』の多い少ないでその規模が変わってくるのだ。
 そして、「税を少なく、公の経済活動も制限していく方向」を『小さな政府論』と言い、「税を重たく、公の経済活動の領域を広げていく方向」を『大きな政府論』と言う。
 ここで注意しなければならないのは、それを「社会福祉」の点でのみで論じてはならないということだ。概して、大きな政府論は「金持ちから税を取って、貧乏人に配る」という議論、小さな政府は「税はあまり取らず、自由競争に任せる」という議論で論じられてきているような気がするが、それは間違っている。

 公の経済活動には、軍事や警察費も、教育関連費も、研究開発費も、エネルギー管理費も、土木公共事業費も、高級官僚の質を確保する給与などなども含まれているはずで、それらの公の経済活動は「国力の基盤」のために欠かせないもののはずだ。

 重要なのは、それら「国家の基盤」を増強する為、『私の経済活動』から、政府が強制的に税を徴収するーーという事の重要性を理解することである。
 そして、『私の経済活動の自由』を、政府が「どの程度」制限して、税を徴収するかの議論が、絶対的に必要なのだ。
 換言すれば、「国内の財を、『国家の基盤を増強する為の事に、政府が強制的に割り振る」という不自由を、どの程度やっていくかという議論である。

 この観点から見れば、現在の税は軽すぎる。自由主義的すぎるし、民主主義的すぎる。
 つまり、「政府が小さすぎる」ということであり、「私の経済活動」から、「国力増強」の為に徴収する割合が、低すぎるということである。

引用:『http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5194.html』

 引用のように、OECD諸国と比較しても、日本はかなり小さな政府に過ぎるということがわかる。
 こうやって他国と比較した上で言うが、本来、こういったことで「外国と比較する」なんて必要は全くないはずだった。何故なら、政府の適正規模、税負担の議論は、「国家の歴史的公正」を論じる事とも同義であるからだ。
 しかし、国家の歴史的公正というものの感覚に薄くなってしまった今日では、他国と比較して、第三者的に引いて見ることも必要になってきている為、仕方なく引用してみた。

 さて、このように日本が過剰に小さな政府を取るようになってしまったのは、「国家の基盤」といったような事の為に、個々人の自由が何事か制限されるという事が、世の風向きとして否定されるようになっていたからだと言える。
 もっと端的に言えば、「国家よりも、個人を重視する」という感覚の礼賛、「自由、平等、民主主義」という観念の礼賛、「無国境(ボーダレス)」の礼賛、「国家の卑下」といったモノが、過度な小さな政府を生んでしまっているということである。
 つまり、醜く、破廉恥で、卑怯な、偽善、欺瞞といった大衆迎合だ。



 その上で、さらにもう一度、短期的なデフレの話題に論を移すと、デフレの場合、増税は得策ではないが、「政府支出を増やす」ということは、先にやるべきでなのである。税なくして、どう支出を増やすかと言えば、(短期的には)政府が円を刷って、それをそのまま政府が使っちまえば良い。分かりやすく言えば、国債の発行と、買いオペレーションという、『財政ファイナンス』である。

 つまり、現在の日本政府の取るべき姿勢は、単にデフレの解消という短期的な問題解決手段としての『財政出動』という意味合い以上に、政府が「このくらいの政府規模が適正です」という大枠を先に示し、「デフレを抜けた将来は、このくらいの財政規模を賄うくらいの増税を致しますぜ」と示唆する姿勢が欲しい所ではある。

 まあ、そんな事を声高に叫べば、一気に政治権力から落とされてしまうであろうから、「そういう風に陰ながら思っている内閣周辺の政治家や知識人が、増えてくれればいいなあ」というくらいの願望ではある。
 (愚かなる大衆民主主義に隠れて言えば)、長期的に注目すべきは、『国家の基盤、国力増強』といったモノに対して、『国民の負担』する『率』を適正な所まで上げることなのだから。




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