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大衆が『株』をやる害悪 

 今回は少し具体的に、『株』というものに絞って論じてみたいと思います。



 昨今、というか長い事ずうっと、
「一般の人も株市場に参加させて、売り買いを活発化させて、会社をたくさん競争する環境に置いて、経済を活発かさせよう!」
 といったワケの分からん風潮がありますね。

 こういった風潮に対する、俺の見解を述べると、
「一般大衆が株なんぞを売り買いしたら、国家全体の株式市場は事あるごとに右往左往して、非常に不安定になる」
 ので、
「多くの株式は取引会社同士の持ち合い」
 である事が望ましく、
「できれば株式市場で取引をするのは、国内の貴族階級に限定すべき」
 と、いうものです。
 まあ、最後の『貴族階級』というのは、現在、残念ながら存在しませんので、それにかわって『国内の金融機関』か『国内の資産家』という事で結構です。

 いや、普通に考えりゃあ、そう思うはずなんですよ。
 金融のプロでもなく、豊富な資金力があるわけでもなく、階級が高くて教養があるわけでもない、一般の大衆の多くが「国家の経済全体に悪影響を及ぼさない常識的な株取引を行う」なんて事ができるはずがないでしょう。

 まず、俺自身は、絶対に出来ない自信があります!

 株なんてやったことはありませんが、「自分がプロ野球の試合に出されても、まともなプレーなんて出来るわけがない」というのが分かるのと同じように断言できます。
 投資の素人が、常識的な判断なんて出来るわけがないのですよ。仮に儲かったとしてもね。


 ただ、誤解を招くといけないので、一つ申し添えておきますと、俺は別に「一般の素人の人が株に手を染めると、プロの人に喰われて可哀想だからイカン」などということを言っているのではありません。そんなもん、それこそ自業自得ってヤツですよ。
 逆に、素人でも、たまたま「結構儲かっちゃったぜ」ってヤツだっているでしょう。
 つーか、一般大衆の一人一人が、儲かったとか、儲からなかったとか、そんな話はマジでどーでもイイんです。

 問題は、そういった一般大衆個人個人の行動が集約されて出る『株価』の無節操な変動が、国力を甚だしく毀損するーーという所にあります。
 そういった大衆化された株式市場においては、プラス要因には過剰に買いが集まり、マイナス要因には過剰に売りが集まって、企業の内容の如何に関わらず、株価の乱高下が起こりやすいに決まっていますよね。
 すると、企業の方は、そういった極めて短期的な株式市場の声に媚びざるをえなくなります。
 つまり、大衆の塵(ちり)のように薄い株の売ったり買ったりの、積もって山になったモノが、株価に反映されてくるということは、企業は常に「短期的で、浅はかでも、多くの人に分かってもらいやすい運営」を優先し、複雑で、長期的な要因を犠牲にせざるをえなくなります。
 短期に正しい運営の積み重ねが、中、長期的にも正しい事になれば良いのですが、残念ながら実際、そんなことは稀中の稀です。


 さて、ここまで話せば、もしかしたら既に気づかれた方もいらっしゃるかもしれません。
 そう。この「一般の大衆が株をやる」という弊害は、「民主主義」の弊害に酷似しているんです。

 そもそも、『市場』というものは、「経済においての民主主義」と呼ばれています。買い手がそれを一つ買えば、それは市場において一票の支持を得た事になると考える事ができるからです。
 まあ、経済はある程度、そういった『民間市場』なるものの民主性に依拠せざるをえないのは、俺も理解します。民間市場を完全に廃して、誰かが全ての価格を計画的に統制するだなんて事は、「しちゃいけない」というより、「不可能」なはずですから。

 ただ、だからといって、市場なるものの『民主性』を、無批判に受け入れるなどということが、あって良いわけありません。
 だって、「民間市場の民主性を完全に制御する事は出来ない」からといって、「制御出来なきゃ放かっときゃイイ」って話しにはならないはずでしょう。
 当然ながら、そこには「政府が民に不自由を強制すべき領域」や、或いは「既得権益が、引き続き権益を既得しておくべき領域」といったものがあるはずなんですよ。

 しかしながら、「政府」とか「既得権益」の持つ権限を剥奪して、それを一人一人の個人(大衆)へ平らかに解放するのが「民主的で素晴らしい事だ」みたいな、恐ろしく醜い意識が世間にて、さも当然の価値であるかのように跋扈しておりますね。
 こういう指向を根にした理屈を聞く度に、俺はそいつを殴りたくなって仕方なくなります。

 まあ、俺の事はイイとして、そもそも何故、そう言うワケの分からんクソったれ偽善魂が、節操もなく流行るのでしょうか。

 それは、多くの場合、そこに「科学的で合理的なフリをした理屈」があり、その理屈を根拠にすることによって、「政府や、既得権益」から「権限を剥奪して、一人一人に解放」しても、「大した問題は起こらないのだ」と思っているからです。
 いや、そうやって自分たちが『科学的数値』を下に、「政府や既得権益から権限の剥奪を主張しているのだ」と、思っている事にすれば、何となく科学的で、合理的で、格好良い感じを演出できるとでも思っているからなんじゃあないでしょうか。

 その事が、明瞭に見て取れるのが、株式市場なのです。

 現在、株や金融というものはたいそう『民主化』されてしまっているわけですが、今の金融市場を見て、正常かつ均衡していると見るヤツは稀でしょう。
 しかし、おかしいですよね。「株式市場の民主化が素晴らしい」と言っていた連中の話によれば、「政府や、既得権益」から「権限を剥奪して、一人一人に解放」しても、「大した問題は起こらない」という事だったはずなんですよ。つーか、そっち(株式市場の民主化)の方が、「科学的見地から見て合理的で経済は成長する!」と散々のたまっていたではないですか。

 つまり、その経済学的な『科学』や『合理』は、偽物の嘘っぱだったということが既に判明しているんですよ。


 ということは、やはり市場の前には、「政府が民に不自由を強制すべき領域」と「既得権益が、引き続き権益を既得しておくべき領域」が必要だったんですね。
 具体的に言えば、一般大衆や外資が簡単に株式市場へ参加できなくする為の『政府による投資規制』や、企業間のシガラミ、上下関係による『株の持ち合い』などのことを指しています。


 こう考えると、本当に『民主主義』というのは、経済に対しても多大なる悪影響を及ぼしていると考えざるを得ません。
 何か特定の権限を持った者から、それを剥奪して、一人一人に平らかに解放する……という文脈が、根本的に間違っているということに気づかなければ、「『株式市場』や『金融』の解放」といったような間違えを犯し続けるのでしょう。
 いい加減、そういったカビ臭いドグマとはお別れを告げなければ、戦後の日本人がナショナルアイデンティティとして心に抱いてきた『経済』も凋落の一途をたどるに違いないのです。

 やはり、「人間というモノに対する捉え方」とか「モノの考え方」の根本が間違った中、経済だけ合理的に発展させていこうなどという空論が長いことまかり通るはずはなかったのではないでしょうか。
 何といったって、人間の社会、国家の構成員は、死んで、生まれるのですから、世代が移り変わるのです。

 日本の経済が発達していた時期に、社会の重要なポストを占めていたのは「戦前からの古い考えに縛られていた世代」が「古い考えにとらわれて経済活動を行っていた時期」でしょう。

 逆に、経済が停滞し始めたのは、「戦後の開明的で進歩的な教育を受けた世代」が社会の重要なポストに着き始め、「政府や既得権益から、権限を解放」し出してからですね。

 (自分で自分を、若者というのも何か変な感じですが、)俺のような若者世代からすると、「もう、そんな子供じみた思考は、後に残される我々の事も考え、止めてくれ」と悲鳴を上げたくもなるというものです。



(了)



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