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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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各政党の、国家と経済に対する立場 

 今日は、『国家』と『経済』という項目に分けて、具体的な政党などを上げ、それぞれの政治的立場を俺なりに分析してみようと思います。そのことによって、世論や議会での議論に不均衡がある、ということを詳らかにしたいと思います。


 ただ、その前に、参院選も近いので、一つ補足を。
 今回のこの見方は「参院選でどの政党を支持するかの判断材料」として参考にしてもらう為のものではありません。
 そもそも、一人一人が政策論によって政党の支持を選び取るだなんて事は、基本的にしてはなりません。そんな素人の意見の寄せ集めが上手くいく程、政治や経済が簡単なはずはないからです。

 ですから、これは、「参議院選挙によってむしろゴチャゴチャに分かりづらくなってしまっている、各政党の姿勢」を、普段使いとして捉え直す一助として考えてもらえれば幸いです。

 この記事をご覧いただいている皆様は、くれぐれも政策などで選ぶのではなく、「自分が所属する地域、団体の既得権益を代表してくれそうな人を選ぶ」か、「長く続いた既存の政治権力機構は、基本的に変えない方が良いという観点から、素直に自民党を選ぶ」か、「白票、または投票しない」といった、健全な姿勢で選挙に臨んでいただけたらと思います。



 さて、今回の分析ですが、ここでは、『国家』と『経済』に対する姿勢を分けて考えて行きます。
 勿論、現実の国家と経済は地繋がりで、決して切り離すことのできないものです。しかし、各々の『思想』とか『考え』とかを見るときには、「国家に対する考え」と「経済に対する考え」を分けて俯瞰して見る事が、時に不可欠になります。

 そして、そういった考えを整然と分析しようとすると、そこには対立軸が必要です。
 世間で、よく『中道』という言葉が使われたりしますね。しかし、これもよく考えると、『中道』とは「両端の二点」を意識しなければ成り立たない言葉であることが分かります。


 よって、「国家に対する考え」と「経済に対する考え」それぞれに、『対立軸』を設定したいと思います。


 まず、国家に対する考えですが、これは世間一般で『右翼』とか『左翼』とか言われているのに近い二項でいきます。
 つまり、『国家派』と『反国家派』の対立軸ーー換言すれば「日本である事にこだわる考え」と「日本である事にこだわるのはよくないとする考え」の対立軸です。
 例えば、日本的な「天皇、歴史、宗教観、文化、道徳基準」にこだわるのが「日本である事にこだわる考え」です。(こちらに、国家の持つ軍事力を重んじるという属性を加味して問題はないでしょう)
 逆に、日本的な「天皇、歴史、宗教観、文化、道徳基準」といったもへのこだわりを排除して、進歩していく人間世界へ帰依していこうとするのが「日本である事にこだわるのはよくないとする考え」です。(こちらには、国家の持つ軍隊には否定的という属性を加味して問題はないでしょう)


 次に、経済に対する考えですが、これは『政府』と『民間』という二項に注目します。
 国家の経済とは物凄く複雑で、人間の不完全な知性では永遠に計り知れることはないものですが、「経済には、政府の領域と民間の領域がある」という事は明瞭ですね。
 ただ、経済に関して、どのくらいの権限を『政府の領域』として発揮するのが適正か、どのくらいの自由を『民間の領域』として与えるのが適正かーーこれが人間には分からないのです。おそらく、永遠に分かるヤツなど出てきませんので、経済学は永遠にこの焦点で対立し続けることでしょう。
 ここでは、「政府の役割をより重んじる考え」と「民間の自由を重んじる考え」という対立軸で考えてみましょう。


 さあ、ここで具体的にいくつかの政党を上げてみますね。

 まず、維新。
 維新の「国家に対する考え」は、一応、「日本であることにこだわる考え」を持っていると判断しておきましょう。
 また、「経済に対する考え」は、かなり極端に「民間の自由を重んじる考え」を持っていると言えます。

 対して、共産党。
 共産党の「国家に対する考え」は、「日本である事にこだわるのはよくないとする考え」を持っています。
 また、「経済に対する考え」は、かなり極端な「政府の役割をより重んじる考え」を持っています。


 こう見ると、維新と共産は対照的ですね。
 維新は、「国家にこだわり、民間経済の自由を押し進める」立場。
 共産は、「国家を打ち破り、政府(トップ)が経済を計画していく」立場。

 これは、冷戦期のアメリカとソ連の対立に酷似しています。

 さらに、維新と似た勢力に、みんなの党というのがあります。
 みんなの党は、どちらかというと『国家』への興味はあまりなく、とにかく「民間経済の自由を押し進める」という事を主眼に置く政党です。
(因みにこのみんなの党が、俺の一番嫌いな政党です)


 あ、維新に関する補足てして、「維新は、旧たちあがれ勢力と、橋本勢力で立場が違う」という話をよく聞きますが、これは確かにそうです。旧たちあがれの平沼氏らは、もともと自民党に所属していて、郵政民営化に反対し、時の小泉首相より刺客を立てられた人達です。つまり、「民間経済の自由を押し進める」のに反対だった人達なのです。
 だから、維新の中でも一部の旧たちあがれ勢力は、阿呆のように「民間経済を自由にすりゃあ良い(とにかく規制緩和)」と騒ぎのたまう橋本らを見て、心中穏やかではないのではないかと思います。
 まあ、旧たちあがれ勢力ってほんの僅かですけれどね。個人的に旧たちあがれの諸先生方には、自民党に戻って、安倍政権の軌道を修正していって欲しいと考えますが、なかなかそうもいかないのでしょう。


 面倒なので、公明、民主、みどり、生活、社民らは割愛します。


 本命の自民党に行きましょう。
 自民党は大政党ですので、様々な考えの人間がごった返しているわけですが、基本的に「日本であることにこだわる考え」を持っています。保守政党ですから。
 ただ、経済に対する考えが一筋縄では捉えきれません。「より民間の自由を重んじる考え」の者と、「より政府の役割を重んじる考え」の者が、党内にひしめきあっているからです。

 ただ、現在の『安倍内閣』だけを見ると、(少なくとも口頭では)より民間の自由を重んじる考えに傾倒している部分が多々見られます。
(しかし、ここで一つ言っておきたいのは、それは勿論、みんなや維新の極端さに比べたら可愛いものだということです。デフレの脱却策に、「国債を増刷しての財政出動を大規模に盛り込む」なんて、維新やみんなからすれば、「政府の出しゃばり」ですし。規制の話でも、維新やみんなの猛烈で無批判な新自由主義色と、安倍内閣の姿勢には、明確に差異があるのであって、いっしょくたにするのはあまりに乱暴過ぎます。)

 話を元に戻すと、つまり、自民党の『党』と『内閣』の経済に対する立場を見た時に、『党』はひしめきあっているが、『内閣』は「民間の自由」の方へ、一部迎合している部分があるのです。



 さて、ここでお気づきになった方もいらっしゃるかと思いますが、実は現存する政党で、「日本、国家にこだわる考え」を持っていて、「経済において、より政府の役割を重んじる考え」を持つ政党が無いのです。
 勿論、政治家個人としてはそういった先生もおられますが、政党や会派単位で、『国家へのこだわり』と『経済における政府の強制』を立場として持つ所ってないでしょう?


 ただ、俺はここで、「そういった政党が必要だ」というような事が主に言いたいわけではありません。
 そんなことよりも、そういった立場の政党が無いことを、何の不思議も不自然もなく無意識に当然の事として受け止めている状況は異常である、と言いたいのです。

 つまり、
『国家にこだわる』+『経済の自由』=右翼
『国家を打ち破る』+『経済の強制』=左翼
 という図式が、無意識的に前提となってしまっているのが、マズい、ということであります。(本当は、『国家にこだわる』+『経済の強制』という論理だって、成り立つわけですから。)

 何故、これがマズいかを正直に言ってしまえば、「国家にこだわる」事は常に正しいことですが、『経済』は「自由にする場面」と「政府が強制する場面」が時と場合によって違うはずだからです。
 そして、「ああ、やはり、国家って大切だよな」と思った者が、自然と「経済は自由にすべし」という考えに引きずられていく状態、これがマズいのです。


 ただ、この『マズさ』を、「国家へのこだわり」と「経済の自由、不自由」は別にして考えるべしーーと叫び、社会全体の議論を正し、啓蒙して行こうという風に考えるのは間違っています。
 『啓蒙』という姿勢は、おおよそ蒙昧な空論だからです。

 だって、いくら俺がここでそんな事を唱えたとしても、焼け石に水。ほとんど何の意味もなければ、一縷の望みすらこし出せません。言論にて全体の議論の不均衡を正してどうこうしようだなんて道は、現実的には開かれていないのです。


 じゃあどうすりゃ良いんだ、という話になると思うのですが、そうなると今回も最後にこれを言っておかねばなりませんね。
 こうした世の中全体の議論の不均衡から、超然した議論を行う事の出来るのは、『長い間続いてきた既存の政治権力機構』(自民党内での、既得権益間の調整)しかないーーということを。

 これをやさしく換言すれば、既存の政治体制を、「変えない」事が大事だということですよ。

 世論や議会に不均衡があるからといって、全体を啓蒙しようとするのは、ガキの発想です。
 何故なら、世論や議会に不均衡の無い時代など、永遠に来ないからです。
 だからこそ、我々は、「長い間やってきた国家体制を変えない事」「長い間やってきた政治体制を変えない事」「長い間やってきた構造を変えない事」ーーといった、『変えない事』を考えねばなりません。
 時代時代で生じる世論や議会の不均衡は、「長い間、変えなかったモノ」でしか、修正する事はできないからです。



(了)



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Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

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コメント

よいと思います。

国を大事にする政党とそれ以外になっていることが、日本の問題です。

既得権の代表と言える自民党が嫌いだと、一部除き反日政党を選ぶのしかないという現状。

他に視点を入れて欲しいのは、

国の伝統、慣習をどこまで守るか?
これは全政党共通認識

国の伝統、慣習をどこまで守るか?
上記で共通認識にならない部分の変化をどこまで受け入れるか?

これは、それぞれあっていい。

小さな政府か大きな政府か?
国の関与の度合い。

家を最小単位として見て、自由を重んじるか、全体主義的なやり方をするか?

国の関与の度合いが低いのに全体主義的なやり方ってのはありえないと思いますが。

ただのぶ #- | URL | 2013/07/21 10:36 [edit]

Re: タイトルなし

ただのぶ様、コメントありがとうございます!


 
> 国の伝統、慣習をどこまで守るか?

 確かに、これは重要な視点ですね。つまり、『何を変えないか』という議論なんだと思います。
 議論や調整というものは、そういった変えるべきではないものについての相違を妥協し合う作業なのでしょうから。


> 小さな政府か大きな政府か?
> 国の関与の度合い。

 これについてはバランスをとって欲しいという事に尽きるのです。
 冷戦の終結後より、あまりに政府の関与を減らし、国民負担率や規制を減らし過ぎているのだと俺は考えます。それが成功しているのであれば文句はありませんが、実際、二十年も失われてきているのですから、小さな政府の方向性へバランスを崩していたと考えるのが自然だと思います。
 勿論、極度に大きな政府による過激な計画経済を目指せと申しているのではなく、せめて、60、70、80年代の水準を基に、政府の適正規模にを見直すべきなのではないか、というのが俺の考えです。

 そして、この程度の議論は、少なくとも自民党の内部では盛んに行われているはずですので、そのせめぎ合いによって出る諸政策がバランスの取れたものであることを、期待したいと考えています。

おーじ #- | URL | 2013/07/22 13:55 [edit]

私は、1960~80年代を見習い、税は低く、社会保険料は低く、その分家計は余裕があり、若者が家を買ったり、奥さんが専業主婦で育児をしたりできる豊かな国にすべきだと思います。

実際は政府は肥大化しており、小さな政府は実現していません。小泉政権期は踏みとどまったとは思いますが、当時、減税はほとんどされていません。

ただ、増税も控えめでした。これが小泉政権期の経済成長の原因の一つだと思います。

日本人は伝統的に自立心が強く、勤労意欲が高いので、小さな政府が向いています。日本が日本であるために、小さな政府という状態を守り、取り戻したいです。

トミー #/5lgbLzc | URL | 2013/08/12 08:52 [edit]

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