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麻生ナチス発言は、本当にナチスの省察か 

 先日、麻生太郎副総理兼財務相兼金融担当相が、ナチスのワイマール憲法無効化について、「あの手口に学んだらどうかね」との発言をしたとして、マスコミ各社が批判を浴びせました。

 これについて、ある有名なコメンテーターを始め、保守っぽい人達や、Twitterなどの意見を見ると、おおむね次のようにマスコミに対して反発しています。

「発言の全てを見れば、麻生大臣は『ナチスの手法を反面教師にすべき』と言っている事が分かる。マスコミは、麻生氏の発言の一部を切り取って、まったく180度正反対の事を言っている風にミスリードしているのだ!けしからん!云々……」
 ……と。

 しかし、果たして。本当にそうなんでしょうか?

 俺は、麻生大臣の発言を通して見ても、必ずしも「ナチスを反面教師とすべき」などと仰られているとは、読めません。(礼賛してるとも読めませんが)

 発言の文脈上、憲法の改正についての「あの手口に学ぶべき」という部分は、(皮肉を込めてではあるけれど)そのままの意味で「学ぶべき」と仰っていると解釈するのが自然ではないでしょうか。少なくとも、俺にはそう読めます。

 その上で……
 俺は、この麻生大臣の発言を全面的に支持します。正しい事を仰っていると、主張します。

 つまり、麻生大臣の仰った発言内容を、「ナチスがワイマール憲法を静かに無効化した態度に、一定程度、学ぶべき所がある」と、(皮肉を込めて)仰っているのだと普通に解釈した上で、俺はそれを全面的に支持するのです。




 さて、とりあえず、発言そのものをじっくり見てみましょう。

youtube音声



朝日の全文書き起こし(要約なし)




 そもそも、麻生大臣の発言の本旨は、「憲法を喧噪の中で変えてはならない」というものですね。
 そして、ここでの『喧噪の中』というのは、「民衆の、直接的な『世論』の熱(民主主義)」というようなもののことを言っていると解釈するのが自然です。
 何故なら、「ナチスは、ワイマール憲法の下で民主主義によって選出された」という例を挙げているからです。

 この、「ナチスは極めて民主主義的な状況下で選ばれた」という例は、現在、世論一般で通用している「民主主義に対する無批判な礼賛」と「ファシズム、全体主義といったモノへの反射的嫌悪」の同居に、矛盾がある事をまざまざと示しています。
 つまり、「民主主義を原理的に肯定し、ファシズムを反射的に嫌悪する」という態度は、「じゃあ、民主主義がファシズムを支持したらどうするの?」という問いに答えられないということです。
 まさに、「この矛をもってこの盾を通さば如何」という『矛盾』ですね。

 そして、麻生大臣は、この例のこの部分においては、確かにナチスを否定的な例として扱っています。ただ、それは同時に「ワイマール憲法下での、ドイツ大衆の直接的な世論を反映した、無批判な民主主義」をも否定しているのです。
 つまり、もしナチスを否定的に見るならば、同時に「民主主義への懐疑」も必要なはずだぜーーという、事を仰っているのですね。




 対して、後半部分、
『静かにやろうや、と言うことでワイマール憲法は、あの手口に、云々』
 と仰っているこの部分は、先ほどの「ナチスを選んだ民主主義」の話題からは、明らかに筋立てとして独立しています。(皮肉として念頭におかれていますけど。)

 だって、最後、
『私は民主主義を否定する気はまったくないが、喧噪の中で決めて欲しくない』
 という文言がありますけれど、この『喧噪の中で決めて欲しくない」の部分は、『私は民主主義を否定する気はまったくないが』と、逆接の後に続いているのです。ということは、「ある程度、世間で言われているような民主主義を、部分的に否定する内容」を後に言っていなければ成り立ちません。文法上、順接ではなく、逆接で繋がれているのですから。中学生でも分かる国語文法ですよ。

 例えば、
 『私は民主主義を否定する気はまったくないが』ーー民主主義は素晴らしいーーと続いたら日本語としておかしいわけです。
 やはり、
 『私は民主主義を否定する気はまったくないが』ーー民主主義にも懐疑するべき所はあるーーという筋でなければ日本語にならんわけです。


 つまり、後半部分は、少なくとも、「喧噪の民主主義」での憲法改正ではなかったという点については、ナチスの手口は学ぶべきところがあるーーと、(無批判で熱の籠もった民主主義に対して皮肉を含めつつ)、仰っておられるのだと解釈するのがごく自然ではありませんか?


 さて、麻生大臣の発言をそのように自然に解釈した上で問います。
 この発言の、何が問題なんですか?
 何か、間違った所が、あるのでしょうか?


 そもそも、この発言での『憲法』の焦点は、軍事の話でした。つまり、「日本の憲法とは?日本の伝統的規範とは?日本の法の道徳規準とは?そういったものは、本来どう示されるべきか?」とかいった根本の話題ではなく、単に9条に関しての話題だったんですね。
『憲法を守っていれば、平和が維持されると思ったら大間違い。(成文)憲法は目的ではなく手段』
 と仰っていられる事からも、これは間違いないですよ。

 つまり、軍隊などという「そもそも政府が保有し、指揮し、運営すべきもの」を、「世論」とか「国民的議論」とかいう、「直接的な民主主義の熱」によって云々しない方が良いということですね。
 軍隊をどうするだなんて具体的な事は、政治家が高級官僚を駆使して、実際的な軍事力の確保に勤めりゃいいだけの事なのです。(具体的に言えば、麻生大臣は、内閣法制局の解釈の変更による、9条の形骸化の事を仰られているのだと思います)
 これだって、国民の常識の上に成り立っている代表者による政治、という立派な「間接的な民主主義」ですしね。

 ともすれば、世の中では、「国民的議論によって軍隊をどうするか論じ合い、世論の了承を得た上で、9条をどうするべきか決めるべきだ」という筋立てが、前提とされているように見受けられます。
 しかし、そもそも、軍隊の運営とは、世論が口を出すべき領域ではありませんね。これは、政府が「今を生きる国民だけではなく、もう死んでしまった国民、これから生まれてくる国民」に対して責任を負って、強制してやるべき領域です。

 これが、憲法に記す国民の道徳とか伝統とか、そういった領域の話であるならば、国民的議論だとか世論の意向に、ある程度従う意義があるでしょう。
 しかし、9条の話というのは、軍隊の話で、いわば具体的、技術的な端論ですから、世論なるものの伺いを立てるべき領域ではありません。政府がさっさと、GDPに対する軍事費の制限を取り払い、先制攻撃を法的に可能にし、静かに軍隊の軍隊たる要件を技術的に揃えていけば良いだけの話です。

 考えてもみて欲しいのですが、もし、国民の大多数において「我が国の国防とは、これこれこういった具合で、こうされるべきだ云々……」と盛んに論じ合われる国なんて、キモチワルくないですか?
 というか、そうやって論じ合われた末に出る結論は、おおよそ「ものすごーく鳩派」か「ものすごーく鷹派」かのどちらかになります。

 そういうのを「喧噪の中で決めること」と、麻生大臣は仰っているのであって、ナチス云々の前に「熱狂的世論に基づいた民主主義」を批判しているのですよ。



 ただ、こうした態度は、ある角度、ある意味から捉えると、「国民世論に直接伺いを立てず、内閣法制局の解釈で9条を形骸化させる」=「軍隊のあり方を、静かに変える」=「弱い意味でナチス的な手口」とも言えます。
 そして、物事を本当に真摯に考えたなら、どこかで「ナチス的な手口と思われるような事」も是としないわけにはいかないはずなんです。

 そもそも、「ナチスのやった事は、頭から爪先まで全て間違えだった」などという話は、ちょっと頭のおかしな人の考える事ですね。そんな非現実的な事が、あり得るはずがありませんので。

 少なくとも、「ワイマール憲法での行きすぎた民主主義が、行きすぎた独裁と、原理的には表裏一体であった」というのは歴史の大きな皮肉なのですから、「民主主義であろうと、ファシズムであろうと、ある程度の肯定と、ある程度の懐疑を持って捉える」というのが、常識的かつ現実的な態度であるはずです。
 つまり、物事はおおよそ中庸を取るのが肝要だと言うのであれば、独裁主義に偏るのも「偏り」なら、民主主義に偏るのも「偏り」なんですよ。



 ただ、そうしたことを俺のブログのようにとうとうと説くと、あまりに長ったらしく、分かりづらい上に、つまんなくて、説教臭いでしょ?
 こうした、かなり入り組んだ話を、何かしら真理をついた上で表現するのに有効かつ適切な手法が、「皮肉」というものなのですよ。

 世間では、「皮肉」というと、何か「ふざけた態度」と取られがちですが、そういったものだけが皮肉であるとは限りません。
 この世界は非常に複雑で、入り組んでいて、ワケの分からんものですから、「皮肉でしか言い表せない領域、皮肉めかすことが適切な領域」というものがあるのです。
 ここで言えば、「世論の熱に浮かされた民主主義への皮肉」ですね。
 そして、それは人々に笑いをもたらしながらも、実は、ものすごく真面目で真摯な言葉であって、深く物事を捉えようとするものでもあります。


 それを何か、「麻生大臣はナチスを反面教師として例にしている」と紋切り型の解釈してしまうのは、あまりに勿体ない事で、知的怠慢と言っても過言ではないと考えます。


 さらに、この麻生大臣の皮肉めかした発言を、正確に読みとっているのは、むしろいわゆる反日的、左翼的と呼ばれている人々の方だと思います。
 その皮肉が真理をついていると、理解する知性があるからこそ、彼らは反発するのです。
 具体的に言えば、その皮肉が「原理的な民主主義というイデオロギーへの皮肉」である事が、ある程度理解できているから、反発しているのでしょう?

 おおよそ、左翼的な人たちというのは頭が良いのです。だって、なんらかの左翼イデオロギーの理屈って、とても小難しいもので、それを理解する知性が少なくともあるということですからね。

 マスコミを始めとする左翼連中は、知性があるからこそ理解ができ、理解できるからこそ反発しているんです。
 まあ、彼らが反発する事自体は別に良いのですけれど、問題は、彼らは、彼らの反発をきちんと紐解いて提示するということをやらないんですね。何故なら、彼らはその自分たちの反国家的な理屈に基づいた筋立てをきちんと表明すると、大衆に受け入れられない事を知っているからです。
 ですから、何か印象的な言葉をもってごく表層部分だけを論じるのですよ。
 ね、頭良いでしょう?


 こうした連中の振る舞いの卑怯さから比べると、幾分罪は軽いのかもしれませんが、それでも、「発言の全てを見れば、麻生大臣は『ナチスの手法を反面教師にすべき』と言っている事が分かる。」という風な筋でのマスコミ批判も、それはそれで卑劣だと思います。
 だって、上で示した通り、明らかにおかしな解釈なのですもの。
 おかしな解釈なだけならまだ良いですが、麻生大臣の発言の優れた部分を霧散させてしまう解釈なのですから、やり切れない気持ちで一杯になります。


 いやね、麻生大臣ご自身が、「あれはナチスを反面教師にせよと言いたかったのだ」と、後からおっしゃるのは良いのです。
 何故なら、政治家だからです。
 政治家は、マスコミがワケの分からん事を騒げば、自分の言いたかった事をねじ曲げてでも、事の沈静化に勤めなければなりません。
 我々は、その点、政治家に対しては寛容な態度を持つべきなのです。
 特に、この狂乱の大衆民主主義の中では、政治家に「表現の自由」など皆無なのですから。


 しかし、評論家、コメンテーターといった言論人においては、そういったゴマカしは許されるものではありません。政治家ほど制限された立場でもなく、ある程度自由に立ち振る舞える者は、言葉に対して真摯でなければ、何のための自由な立場だというのでしょう。もし、大衆に迎合する筋立てを展開して、チヤホヤされるための言論の自由なのであれば、そんなクソみてえな自由は早急に制限されてしかるべきなのです。




 もう一度言いますが、「過度な民主主義」と「過度な独裁」は、表裏一体なのであって、ヒトラーを否定するなら、ワイマール憲法による民主主義も否定されるべきはずなのです。

 物事には、「民主主義的世論に伺いを立てるべき領域」と、「政府が、民主主義的世論に伺いを立てずに決定すべき領域」の、双方があるだなんて事は、至極当たり前の話です。
 それは、憲法の中でも主に軍事などの具体的な技術論に及べば、「直接的民主主義たる世論」に伺いなど立てる必要があるはずがありません。というか、それは直接的民主主義に伺いなど立てるべきではない領域なのです。

 ともすれば、世の中、「憲法の改正や運用は、国民的議論、国民的世論の下に多数が形成されることによってのみ、変更が許される」という前提がある気がします。
 しかし、その考えの下にあるのは、「今、日本列島に生息している人類の一人一人が、こうしたい、ああしたい、と希求するものの多数が、主権であり、憲法を形成できる」という考えであるが故に、完璧ににルソー以来の左翼思想の筋立てと一致していますね。
 別に、そういうのが好きで、「自分はそういった意味では左翼なのだ」と意識しているのなら勝手にしてもらえれば良いのですが、無意識に原理的な民主主義を前提にしている輩は、本当に厄介だと思います。

 俺は、そういう極端で古くさい「人間主権」といったようなイデオロギーは勘弁だなあと思う者なので、麻生大臣の発言を自然に解釈した上で、支持するのです。



(了)



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また、いつもご覧くださっている方、ご支援くださる方には、重ねて御礼申し上げます。
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コメント

No title

改正したから平和ってわけでも、護憲で平和ってわけでもない。憲法改正はしっかりとした議論の上でおこなわれるべき。」←前文。良い改正じゃないと意味ないからね~。ナチスは国民議論がほとんどないまま勢いで改正していったらしい。マスコミは、この発言無視してるけど、どこがナチス賛美なの?意味がわからない。さすがマスコミだね。マスコミの報道のねじれっぷりは継続中のようです

名無しさん #- | URL | 2013/08/06 20:36 [edit]

Re: No title

コメントありがとうございます。

 マスコミが異常であることには諸手をあげて賛同いたします。

 ただ、俺は、憲法が「すべからく国民的議論なるものによって形成されるべき」とは、全く思いませんし、ナチスの手口が全くの間違えであったとも思えません。そもそもワイマール憲法自体、おかしな話ですし。

 麻生大臣も、「憲法改正には国民的議論が必要」などとは、おしゃっておられないですね。
 麻生大臣がおっしゃっているのは、直接的な民主主義としての「国民的議論」などという熱に浮かされる事を否定して、「代表者による熟議」こそが肝要なのだとおっしゃっているのだと思います。

 憲法や政治の具体的な運用については、その時々の「国民的議論」なるものによる一般世論が、直接口を出して良い領域と、政治家の議論に任せるべき領域があるのだと、思います。

おーじ #- | URL | 2013/08/06 21:32 [edit]

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