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日本が日本であるために

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9条の運用の変更に、世論の了解など要らない 

 再び、麻生大臣の「ナチスの手口」発言に関連して。
 まだ、全文をお読みでない方は是非こちらを。

朝日の全文書き起こし(要約なし)

 
 
 
 昨今の、麻生大臣の発言に対する人々の反応を見て、俺は現代の日本人に対して、とある疑いを持つようになりました。
 それは、現在の世間の多くは、「憲法(=9条)をどうするか、というのは、国民の直接的な世論が決めるべきである」という論理を前提にしているのではないか、という疑念です。
 
 
 その点においては、麻生大臣の発言を擁護する者も、同じ勘違いをしているのではないかと、強く危惧するのです。
それは麻生大臣の発言の「ナチスの手口に学ぶべきじゃあないかね」という所に、無理やり“反面教師として”という意味合いを付け加えて解釈して、麻生大臣があたかも「憲法の運用には国民的議論が不可欠である」という立場をとっているかのように筋立てた上で、擁護している所からも分かります。
 
 しかし、本来、「国家の軍隊をいかにするか」という政治の具体的な項目は、「国民的な議論」とか「世論の多数」だとか、そういった『直接的な民主主義』の介入を許してはならない領域のはずです。
 では、軍事などの具体的な憲法の運用は、一体何をもって決められるべきなのかと言えば、「国民が選んだ代表者達による議論」という『間接的な民主主義』において決められるべきものなのです。 
 
 また、麻生大臣の発言の全体を見れば、そういった趣旨のことをおっしゃっておられると解釈するのがごくごく自然です。
  
 たとえば、麻生大臣の発言の中には、自民党の部会や勉強会での議論に触れた部分がありましたね。こうした、代表者による冷静な議論(間接的な民主主義)が、改憲や憲法の具体的な運用についての指針とならねばならない――とおっしゃっているのですよ。
 対して、世で言う『国民的議論』とか『一般世論』とかいう、直接的な民主主義については、極めて否定的な立場をとっておられることは明々白々です。なんと言っても、麻生大臣が重ねておっしゃられていたのは、「喧騒の中で決めないでほしい」ということなのですから。
 
 
  
 何故、麻生大臣発言に反発する者も、擁護する者も――もっと言えば、世の中で保守と呼ばれる人も、革新と呼ばれる人も、さらには中道なるものを自称する者も――「憲法(=9条)をどうするか、というのは、国民の直接的な世論が決めるべきである」という前提から一歩も動こうとせずに、大臣の発言を曲解してしまうのでしょう? 
 
 それは、『イデオロギーとしての民主主義』=『国民主権(人間主権)』という、モノの考え方の筋が、もうほとんど人々の骨の髄まで染み込んでしまっているので、その筋立てから外れたモノを見ても「理解できない」か、「忌避する」かしか出来なくなってしまっているのではないでしょうか。
 保守的と呼ばれる人々は「理解できない」で擁護する。頭の良い革新的と呼ばれる人々は理解した上で「忌避する」のです。
 
  
 さて、それでは、人々の骨の髄まで染み渡ってしまっている、『イデオロギーとしての民主主義』=『国民主権(人間主権)』とは、一体どのような筋立てのものなのかを解きほぐしてみたいと思います。
 そう、難しい話ではありません。
 イデオロギーとしての民主主義とは、「そこにいる全ての人間の多数が、政府へ求めている行動」が、全ての「政府の行動の根拠」である、というイデオロギーの事です。
  
 もっと具体的に噛み砕くと、例えば、「日本において軍隊をどうするか」という政策的問題について、今生きている日本人の一人一人の「軍隊にはこうあって欲しい」という直接的な意見の集計の結果、最も多い意見が政府の行動であるべきだ――という発想です。
 
 
 こうした原理的な民主主義を唱えたのは、アメリカ独立革命やフランス革命の理論的支柱となったロックですとかルソーだったりします。
 彼らからすると、人間には「合理性」があるから、おおよそ人々は全体のことを考えた上で、政府の行動がどうあるべきかの意見を出すはずだ――という、至極牧歌的で能天気なものが、人間というものらしいのです。
 そして、これがいわゆる『左翼思想』というものの始まりだと言われています。


 俺からすると、こうした考えは、頭おかしい人の考えです。
 だって、一人一人の人間に合理性なるものを解明する能力があるはずがないし、裸の個人の多くが「他人の事を想う事が、自分にとっても合理的である」などという仏のような境地に達することなどありえないでしょう?
 空理空論とは、まさにこのことではありませんか。

  
 歴史的に見ても、フランス革命の大失敗をはじめとして、そうした楽天的で無批判な直接的民主主義が、あらゆる国家を破壊していったことは明らかです。
 もっと遡れば、古代アテナイの直接民主制が、どうにもこうにも上手くいかなかったからこそ、哲学というものが登場せざるをえなかったという経緯があります。哲学とは、直接民主制の引き起こした政治的混乱によって生まれたんですね。 



 さて、日本の事に話を戻しましょう。

 もしかすると、世間でおおよそ保守的と呼ばれる人々の中には、次のような筋立てがあるのではないでしょうか。
「日本国民の一人一人は、おおむね祖国防衛の事を考えるはずで、危機に直面し、国民的議論が熟せば、9条の改正ないしは運用の変更という正しい方向性を、多数が選び取るに違いない」
 と。
  
 対して、世間で左翼と呼ばれているような人々には、次のような筋立てがあるのでしょう。
「日本国民の一人一人は、おおむね国家のために戦うだなんてことはしたくないはずだから、世論に従っていけば、9条堅持という正しい方向性を、多数が選び取るに違いない」
 と。


 俺は、今を生きる日本国民の一人一人の意見に直接伺いをたてた結果、どちらの筋立てが多数を得るかなんて、分かりません。
 だって、生まれてこの方、『国民的議論』とか『一般世論』だとかいったものが、一所の意見に安定していた記憶なんてないですから。

 ただ一つ分かることは、憲法の中でも9条という「具体的な軍隊の運用といった政策論」に、今を生きる国民一人一人の直接的な『国民的議論』とか『一般世論』をいちいち反映させていたら、軍隊がその時々の世論の雰囲気に左右され、「鳩になったり、鷹になったり」と、右往左往を繰り返すだろう、ということです。



 というか、よく聞かれる『国民的議論の醸成』って一体どんな議論をさすのでしょうかね。
 一般の国民の一人一人が、自分の仕事もほったらかしにして、日夜、憲法や軍事、政治の事ばかり勉強し、考えて、街では路上の至る所で人々が「我が国の国防はこれこれこうあるべきだ」「いや、違う」みたいな議論を交わす……そういう事でしょうか?
 正直、そんな国、気持ち悪いんですよ。
 気持ち悪いですし、そもそも非現実的ですね。
 人々は、普通に生きてりゃそれぞれの仕事をして、それなりに忙しいんです。(俺を含めてね)
 だから、代表者を選んで、彼らに「勉強し、考え、議論する」という事を、代わりにやってもらっているんでしょ? おおむね一般国民は、具体的な政策の事なんてまるで分からないはずですけど、「代表者を人柄によって選び出す」事は、生活の中で養われる常識に基づいて出来るはずだーーというのが代議制であって、間接民主制なわけです。

 世の中、やたら政治家をコケにしたり、バカにしたりする人が多くて本当に腹が立ちますけれど、(全てとは言いませんが)政治家はそれなりに粛々と議論を続けていると思いますよ。勿論、常に正解の結論を導くわけじゃあありませんけど、少なくとも、世論の雰囲気とか、素人の意見の寄せ集めよりは遙かに安定しています。
 もし、本当に政治家がクソだと思うのなら、自分たちがした人柄判断の常識の方を、まず疑うべきなんじゃあないでしょうか。



 そういうわけで、憲法問題の中でも特に9条と軍隊といった具体的な政策論に関わる領域については、そもそも、代表に選ばれた議員たちによる間接的な民主主義が、直接的民主主義を抑えて、運用していくべき話のはずなのです。



 もっとも、この論理には、ある反論の来ることが予測されます。
 それは、
「軍隊を組織するのは実際の所、今を生きる国民と、国民の税金によってではないか。ならば、今を生きる国民の世論に了解をえるべきなのは当然だ」
 という理屈です。
 
 しかし、俺から言わせれば、そんな理屈はクソ食らえです。

 何故なら、政府は「今を生きる国民の為だけに存在しているもの」ではないし、軍隊も「今を生きる国民の生命と財産を守るためだけに存在するもの」でもないからです。
 政府や軍隊は、「過去の国民の意志や大儀を守るため」にも存在しているのであって、国民は『国民』として存在している時点でその執行に義務を負っているのです。
 だって、今を生きる国民は、過去の国民の積み重ねた様々な社会的前提の上に、現在の生活を享受しているのですから。


 ですから、もし仮に、今を生きる日本人による国民的議論の上に、「軍隊とか、税金がかかるだろうし、徴兵されるかもしんねえから嫌だね。国のために戦うとかマジ勘弁ww」という意見が多数を形成したとしても、政府は適正規模の軍隊を強制的に組織して良いのですよ。
 何故なら、今を生きる日本人は、過去を生きた日本人に対して責任を負っているはずで、責任とは(個々人の意思に関わらず)強制的に果たさせるべきもののはずだからです。


 そもそも、9条二項の条文は、内閣法制局の解釈によって何割か形骸化していますね。だって、日本には自衛隊があるではないですか。あれはその時々の国民的議論なるものによって組織されているのではないですね。残念ながらアメリカの指令によって組織された警察予備隊の末裔ではありますが、9条の条文がありつつも自衛隊が今日まで存続していることを見ても、成文憲法の上位に存在するものがあるのは明白です。
 それは、「過去の国民の意志が紡いだ国家の歴史的大儀や基準」といったもので、それに背くことのない限り、成文憲法に文字でなんと書かれていようと、今を生きる国民の多数が何と言おうと、政府は粛々と軍隊を組織して良いはずなのです。

 特に、憲法における9条の運用に限れば、内閣法制局の解釈変更によってほぼ何とでもなるのですから、今を生きる国民世論の多数などに伺いを立てるまでもなく、政府がさっさと軍隊の、軍隊たる用件を揃えていけば良いだけの話なのです。
 
 
 
(了)
 
 
 
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コメント

私は知能指数が限りなく低い者ですが、あなたは根本を理解していません。今の日本がどういう状況か、そして国の政を受け持つ人間の中に、どのような思想の人間がいるかを、自分で調べて考えて下さい。言いたい事はわかります。でも、あなたは恥をさらしていますよ?

#- | URL | 2013/08/15 00:26 [edit]

Re: タイトルなし

> 私は知能指数が限りなく低い者ですが、あなたは根本を理解していません。今の日本がどういう状況か、そして国の政を受け持つ人間の中に、どのような思想の人間がいるかを、自分で調べて考えて下さい。言いたい事はわかります。でも、あなたは恥をさらしていますよ?



 コメントありがとうございます。
 俺は知能指数が低くはない者ですが、あなたがどのような意見をお持ちで何を批判的に見ているか、その文面からは理解する事ができません。
 知能指数が低かったり日本語が不自由なことは恥ずべきことではないと思いますが、さしたる意見も提示せずに他人の事を「恥さらし」呼ばわりするのは、恥ずべきことなんじゃないでしょうか。

後藤真(おーじ) #- | URL | 2013/08/15 22:05 [edit]

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