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日本が日本であるために

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大東亜戦争を肯定する事の重要性 

 俺は、基本的に大東亜戦争を肯定します。
 もし、大東亜戦争を無理矢理否定的に見るとなると、人間というものの性質を酷く見誤ると確信するからです。


 まず、日本があのような戦争をするに至った所以を捉えるには、国家間の経済的摩擦の問題を考える必要があります。

 そもそも、工業化(産業革命)といったものが起きると、原材料の値上がり、製品の値下がりという相対価格の不均衡が国内経済の問題として潜在しだします。
 すると、概ね、近代以降の先進国は、原材料を輸入し、製品を輸出するということをもって、自国の国内市場を均衡させようとしたんですね。
 ですが、その原材料の輸入元、製品を輸出する海外市場を、国外へ求めてどんどん地球を狭くしても、地球は有限なので、今度は世界経済の方が不均衡をきたすのは当たり前の事です。

 先進国と後進国の間での不均衡で済んでいるうちは、軍事的パワーが違いますから、恫喝をもって貿易摩擦による文句を抑え込むこともできたでしょう。

 しかし、事が先進国と先進国の決定的な経済的摩擦に及べば、当然、大規模な戦争になるわけです。

 また、製品や原材料が国境を越えてガンガンに移動するとなると、同時に資本も国境をガンガン越える事になります。すると、世界経済が概ね上手く回っている時は良いのですが、不況に陥る際は、世界各国で同時に連動して不況に陥るわけです。


 ここで、留意すべきは、国境を越えた経済的不均衡を解決するのは、国内経済の経済的不均衡を解決する事より、遙かに難しいということです。

 当たり前ですが、国境を越えた所に、上からの指導は効きません。何故なら、地球政府というものは存在しないし、そんなものが存在してしまってはならないからです。
 また、国民の生活形態、長い年月をかけて構築した産業構造、商慣例……といったものによる民間の自浄も、国境を越えてしまえば望みようもありません。何故なら、国境を越えた所にいる人間は、こうしたものを共有していないし、共有するべきでもないからです。つまり、実は、国境を越えた所での市場原理というのは、機能の根拠を失っているんですね。


 こうしたことから、当時の日本人達は「やはり経済というのは歴史的に統合された国民による伝統、慣習、慣例に基づいて回していかなければ機能しない」ということに気づくわけです。
 そこで、日本の歴史に基づいた価値観や宗教観、道徳、先入観といった、『国家の歴史的な体系』が重視されるようになったのですよ。

 勿論、『国家の歴史的な体系』とは、たとえ経済が上手く回っていても、常に最も尊厳ある存在です。
 しかし、経済が上手く回っている時はあまり意識されず、経済情勢が不安定になると、その遙かなる重要性が明瞭に認識されるようになる傾向があります。

 そして、その方向性は、ある程度うまくいっていたのです。
 つまり、『国家の歴史的な体系』に基づいている市場を、政府と軍隊で保護し、「国境を越えた経済」という何の根拠も持たない不安定なものによる混乱を、できるだけ回避するという方向性です。

 ただ、反面、「国家の歴史的な体系に乏しい先進国」というのもありまして、それがアメリカとかソ連とかいう国だったわけです。

 アメリカをクローズアップしますと、アメリカという国は、国内経済を安定せしめるほどの『国家の歴史的な体系』という歴史的基盤がないので、国境を越えた先に市場を開拓していくしかないんですね。いや、むしろ、「国境を越えた先に市場を開拓していく」という事こそ、アメリカにとっての『国家の歴史的な体系』と言えるのかもしれません。いわゆるフロンティアスピリットというやつですね。

 そこで、アメリカは、国境を越えた経済の中でも、供給サイドの問題である『市場』という項目ではなく、需要サイドの問題である『原材料』という項目で、日本経済へ圧力をかけるわけです。
 ここで言う原材料とは、『石油』ですね。世に言う、ABCD包囲網という経済攻撃です。

 先ほど俺は、近代化をした国は、「製品を輸出する必要」と、「原材料を輸入する必要」が出てくると言いました。
 製品の輸出とは市場の問題ですので、『国家の歴史的な体系』に基づいた国内市場をどうにかやりくりしていくことができました。
 しかし、原材料=石油は、物理的に国内で産出しなければ、輸入する他ありません。
 その石油の輸入を日本にさせない戦略が、ABCD包囲網です。

 ただ、ここで俺は、このアメリカの戦略が「非道でけしからん」とか、そういう事を言いたいのではありません。


 人間というものを見たときに、まずパッと思うのは、「人は経済無しでは生きて行かれない」ということでしょう。
 また、その『経済』とは、そもそも「集団の歴史的な体系」の中にある伝統や慣習、慣例がなければ成り立たないものであることは、先ほど申した通りです。近代以降では、特に、その歴史的集団で最大のものである『国家』が経済の存立基盤であることは、疑いようもありません。

 さらに、この「国家と経済の相互依存関係の塊」は、地球上に日本だけではありませんね。船や飛行機の技術が発達して、世界が狭くなってからというもの、国家間は何らかの関わりを持たざるを得ないわけです。
 すると、そこに何かしらの経済的不均衡が生じることは、運命的に避けられません。
 そして、この「国家間の経済的不均衡」は、おおよそ「人間の知」を越えたものであることを認めなければならないーーと、こう言いたいのです。人間の知は、国家間の経済的不均衡をコントロールできるほど、完璧なものではないのです。

 勿論、国家間の経済的不均衡も大きくなったり小さくなったりしますし、ある程度、大きくならないようにする技術論もあります。しかし、そういった技術論が通用しない領域……つまり人間がコントロールできない領域で、国家間の経済的不均衡が急激に膨らんで決定的な対立を起こすことはありうるのです。

 こうした場合、「軍事的な衝突をもってでしか事が収束していかない」というのは、ほとんど運命的に避けられない災害のようなものですよ。
 すると、国家体系と経済の相互依存は、潜在的に常に軍事力という物理的パワーとも深い関わりがあるということも分かるはずです。


 また、その軍事的衝突の「規模」も、国際法といった人知で抑え込める領域と、それを越えた領域があるはずです。
 大東亜戦争は……というか、第二次世界大戦は、先進各国が互いの「国家の歴史的な体系、存立基盤そのもの」をかけざるをえない、超大規模な軍事的衝突だったのです。
 こうした避けようもない雪崩のような危機に遭遇したらば、もうこれは国家を過去から未来へ繋げる為に、命を投げ打って戦う他ありませんね。


 こうして大東亜戦争を自然に顧みるに、「国家体系、経済、軍隊、それに政治体制といったものを加えた四つ」は、それぞれに深い関わりをもって存在し、いずれかを切り離して人間というものを考えることは到底できないし、してもならないということが分かるはずです。
 大東亜戦争における日本は、別にこの圧倒的現実から大きく外れたアブノーマルな振る舞いをしたわけでもなく、人知を越えた危機に直面した共同体としては極めてノーマルかつ適切な振る舞いをしたと捉えるべきです。

 むしろ、現代の人々は、これを無理矢理否定しているから、人間そのものへの見方が酷く空疎で刹那的にねじ曲がってしまっているのではないでしょうか。



(了)



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