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日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

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反原発に見える反権力指向 

 このブログではこれまでも『反原発』の態度を批判的に評してきました。
 俺は、今日も……そしてこれからも、『反原発』という態度に含まれる様々な醜い指向を繰り返し非難していく所存です。


 今日は、『反原発』の根拠を、「既存の大きな権力が握っているものだから」という所にも置く、醜悪にひん曲がった根性を非難したいと思います。
 原発の話題で言えば、「既存の大きな権力」とは『日本政府』だとか、その中でも『経産省』だとか、あるいは『東京電力』とか、そういった存在になるでしょう。

 そこで、まず第一に指摘したいことは、「既存の大きな権力が握っていること」=「悪い要因」という考え自体に、根拠がないということです。
 逆に言えば、「現在は権力を得ていない大衆へ開放していくこと」=「正しい要因」という考えにも、一切の根拠がないのです。

 俺にとって、そうした根拠のない考えは、頭の中で物語的にデフォルメされた差別的な決めつけに見えます。つまり、「どこか腐った権力構造の中に悪い輩がいて、彼らがほくそ笑みながら大衆から搾取を繰り返しているはずだ」という子供っぽい筋立ての上で物事を考えているのではないかと、疑っているのです。
 ですが、そんな子供っぽい筋は、いまどきマンガや小説にしたってチープ過ぎですね。


 さらに言うと、物事には「国家の存立のために、既存の大きな権力が握っておくべき領域」というものがある……というのは当然の話です。
 例えば、水、食料、原材料、移動、通信、そしてエネルギーといったモノに関わる産業ですね。

 つまり、『産業』というのは、全部が全部平等ってわけじゃないんです。
 当ったり前の話ですよ。
 国家の基盤を成す産業は、当然、中央政府が庇護すべきだし、そこに既存の大きな民間企業が既得権益を作りだし、それなりの慣例や慣習を構築するというのも当然の話です。

 これは別にズルくも何ともないんですよ。

 だって、日本国民の全てが、国家や政府からもたらされている何らかの既得権益でもって生計を成り立たせていて、その度合いが強いか弱いかというだけの話なんですから。
 おそらく、あなたより多くの既得権益に預かっている日本国民もいれば、あなたよりも少ない既得権益にしか預かれていない日本国民もいるでしょう。
 それでも、『私は一切何の既得権益も国や政府からいただいておりません』とのたまう日本国民がいたとしたら、それは嘘か、統治の恩恵に気づかない恩知らず者としか言いようがありません。また、既得権益を全国民に対して完全に平らかにせよ……などというのは政府に対する暴論もいいところで、もっと言えば赤ん坊のごとく甘ったれた態度とも言えます。

 そして、「政府から発する産業の既得権益の度合いの多い少ない」とは、どんな基準で選ばれるべきかといえば、それは「国家存立、国家独立、国力増進」といったモノにかなう産業であるかどうかによって、ですよね。
 だって、それが政府の役割であって、国家の統治の役割じゃあないですか。
 少なくとも政府にはそうあってもらわなきゃ困りますよ。
 幸い、日本政府は、政府の役割をこなしてきているのですから、なんで市民団体とか評論家とかいうワケの分からん連中からワケの分からん文句を付けられなきゃいかんのですか。



 エネルギー産業とは、国家の存立、独立、国力、といった事に密接に関わる、極めて根幹的な産業です。

 そもそも、エネルギー問題という国家の根幹を「既存の大きな権力」以外で、どう安定せしめようというのでしょう。
 まず、少なくとも、エネルギーを得るためには、軍事的背景が必要です。それに基づいた外交交渉も必要です。国際的に信用に足る通貨の管理が必要です。
 いつでも金さえ払えばエネルギー資源が手に入る、などと思ったら大間違いなんですよ。エネルギー資源は気合いで湧いてくるものではないからです。
 また、各エネルギー資源をどう運用し、どのように外交的弱みにしないかーーというのも、政府が指導しなければ、どうしようもありません。
 さらには、国内の民間企業による経済活動は、「エネルギーが途切れず、断続的に供給されること」を前提として行われているのです。つまりは、「国家のエネルギー資源の確保」は「末端の国民に至るまでの生活」に、根本で関わっているわけです。だって、国家のエネルギー問題は、国内の全ての産業に関わる問題なのですから。


 そもそも、エネルギー産業とは、こういった前提があるのだから、電力会社は政府の指導を良く聞く半官半民の企業であって良いのです。その中で、官と民がコネとシガラミと既得権益を構築し、協調していかねばやっていきようがないのですよ。
 というか、そうでなければ、一体全体どうやって国家としてエネルギー資源を運用していくのでしょうか。また、いつから官と民が協調しちゃいかんという話になったのでしょうか。

 産業には、政府が成すべき領域と、民間の成すべき領域があり、また、両者は国家の下に密接に繋がっていなければ機能しないものですから、そこに連絡なりなんなりを持たせずして、どうして国家が成り立って行くと思えるのでしょう。
 そして、官と民というものの連絡と言っても、人間は神様ではありませんし、社会の全ての情報を各々が完璧に把握するなどということは、人として不可能です。
 ですから、「そこはコネ、シガラミ、既得権益による『信用』や『関係性』によって運用せざるを得ないだろう」ということすら認めないのは、あまりに『既存の権力』というものに対して不寛容すぎると考えるのです。
 だって、そうなると、「権力が既存して許される状態」というのが、「権力が神的な力を宿した時」以外になくなってしまうでしょう?
 人間に神的な力が宿ることは永遠にありませんので、権力が既存するという状態がなければ生きていけない人間という生物にとって必要なのは、「既存の権力に対する理解と寛容さ」なのです。



(了)



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