04 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 06

日本が日本であるために

時事、ニュース、政治、経済、国家論について書きます。「日本が日本である」ということを政治、経済の最上位目的と前提します。

 

     
  

シチリアG7保護主義と闘う(笑) 

 27日、イタリアシチリア島でG7サミットが開かれました。

 トランプのアメリカを含め

「保護主義と闘う」

 という文言が、再び確認されたそうです。


 ……これが「偽善」です。



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赤傘



◆◇保護主義の時代~自由貿易主義の終焉◇◆



 保護主義とは、国内の産業を保護するために、国家として貿易の自由を規制すること。

 実際のところ、リーマンショック後の世界各国で必要とされていたのは、この「保護貿易」と「財政支出拡大」で内需を増やし各国のナショナリズム経済を扶養することであった。

 つまり、グローバリズムの幻想はとっくに終わっているのです。



 これは、冷戦の西側勝利によって蔓延した、

「資本主義、自由市場経済の合理性による世界統一」

 というアメリカ的幻想が、やはり幻想であったと判然したということでもあります。



 でも、

「自由貿易主義」=「民主的」

 みたいなキレーゴトの体系が残っていたから、みんな社交辞令のように自由貿易を言ってきた。

 しかし2016年、よくも悪くもキレーゴトを言わないトランプ大統領の誕生や、ブレグジットによって、グローバリズムや自由貿易がキレーゴトとしても通用しなくなってきていたのです。



◆◇「俺は保護貿易をやるけど、お前らは自由貿易をやれ」◇◆



 そういえば、

「保護主義と闘う」

 という表現は、オバマ政権下で開かれた昨年の伊勢志摩サミットで言われた表現でしたね。

 しかし、今これが言われるというのは意味合いが違います。

 アメリカは、

「自由かつ公正で相互に利益のある貿易」が「経済成長と雇用創出の主要な原動力になる」

 と主張していますが、これはイコール、

「アメリカはこれまで障壁を低くしすぎて不公正だったから保護主義へ舵を切る。しかし、もっと障壁を下げ、自由に輸出できるようにすべき市場があるよな(たとえば日本とか)」

 という意味なのです。



 つまり、アメリカはまだ一番強いので、

「俺は保護貿易をやるけど、お前らは自由貿易をやれ」

 と言っているわけ。

 それでもヨーロッパの国々は狡猾だから、こうしたアメリカのジャイアニズムにも口だけ「はいはい」と言うだけでしょう。

 けど、日本の自由貿易信仰はどうやらマジモノであるようだし、「アメリカに対する核抑止力」もないわけですから、さらに国内構造を改革して貿易障壁を下げてゆくのでしょうね。



◆◇ゴマカシが効かない屈服◇◆



 これからはますます、

「核兵器と国際政治力のある国家」は「保護主義」を進め、

「核兵器と国際政治力の無い国家」は「自由貿易という名の市場解放」を強いられてゆくでしょう。



 これはもちろんこれまでもそうだったのですが、赤裸々にそうなっていくであろうということ。

 日本は、日米構造協議以来「アメリカの属国でいるための国家の切り売り」をやってきましたが、構造改革論や規制緩和論で「これは合理的なことなんだ」と自分に言い聞かせて屈服感を和らげてきました。

 しかし、これからは屈服感をゴマカすこともさせてもらえなくなって、「赤裸々に屈服感丸出しの屈服」を強いられるようになるでしょう。



 その証拠に、TPPなど、自由貿易協定の促進に関する文言は消えたらしいです。

 なんだか笑っちまう話ですが、これは、もうそういうゴマカシも許してもらえなくなる……ということなのです。

 普通そうばれば怒ると思われますね。

 でも、断言しておくと、日本人は立ち上がりません。

 もはや日本人はいかに赤裸々に屈服させられても、アクロバティックに「これは屈服ではなくて、合理的で戦略的なことなんだ」と言い張るに決まっているのです。



◆◇余談◇◆



 余談ですが、サミット後の記者会見を見ていたら、外国の記者もいる中、加計学園問題について質問するバカな日本人記者がいました。

 私は加計学園問題はもっと気合い入れて責めるべきと思っていますが、さすがにこれには強い違和感を感じました。


(了)


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前川喜平・文科省元事務次官を証人喚問せよ! 

 文科省の元事務次官(事務次官=省庁側のトップ)前川喜平氏が「加計学園問題に関する文部省内の文章はあった」と口を割っていますね。

 さらに記者会見を開き、証人喚問に応じる意向も示している。

 この意義を、加計学園問題そもそもの流れから簡単に説明するとこうです。



1 安倍首相は、規制緩和策の「国家戦略特区」を利用し、加計学園(学長が首相の友達)に獣医学部の新設を許可するよう文部科学省へ圧力をかけていたのではないか……という疑惑があがった。

2 証拠として「官邸の最高レベルの意向だ」などという文部省内の文章があり、それがリークされた。

3 文科省は「調べた結果、あんな文章はなかった。ありゃデタラメだ」と言った。

4 前川元事務次官が「いや、ああいう文章はあったよ」と口を割り、証人喚問に応じる意欲を示した。


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マスク1


 加計学園問題の意義を突き詰めて言うと、

「既得権益を打破すると言われて進められた『岩盤規制の緩和』そのものが、既得権益である可能性を象徴的に表していること」

 です。

 だから、これはとてもとても重要な問題なのです。



 まず、この問題で「従来的な規制緩和論」の「岩盤規制をかける者」として想定されているのは「文部科学省」でしょう。

 そして、「既得権益」として想定されるのは「既に獣医学部のある大学」ということになります。

 で、文部科学省の張っていた「岩盤規制」が「緩和」されると、「既に獣医学部のある大学だけが持っていた獣医学部をやるという既得権益」が打破されて、「他の大学にも獣医学部をやるチャンス」が巡ってくる。

 そうなると、「獣医学部」の「供給」が増える。

 供給が増えると「獣医学部」の競争が起こって、経済的にも合理的になる。

 これが従来的な「岩盤規制を打破する」的な規制緩和論の筋ということになり、また、これがグローバリズムの「競争力」の筋にも繋がってきた。

(さらに言えば、この「規制緩和論」「グローバルな競争力」の筋は、「アメリカへ市場を開放することに対する屈服感を和らげる大衆的効果」とも繋がりがあったのです。)



 そして政治的には、こうした「規制緩和論」を「政治主導」で行うことが「民主的」で「合理的」で「正しいのだ」というような筋が張られてきました。

 しかしこれは、小泉政権、民主党政権を経て、おおむね失敗に終わったのが歴史であった。

 それでも、安倍首相ご自身を含めた「大衆」は、もはやこの「規制緩和」「政治主導」の「物語」を無自覚レベルで大前提しているので、国家戦略特区のような政策も大して違和感なく受け入れられてしまっていたのです。



 しかし、加計学園問題では、その従来の規制緩和論で「敵」と想定されていた「規制をかける者側(官僚側)」が反逆を起こした。

 それが前川喜平元事務次官ということになります。

 これは画期的なことなのです。

 だって、「岩盤規制を緩和する者としての官邸と専門家(政治主導や産業競争力会議的なモノ)」に対して「岩盤規制を敷く者(官僚や産業構造)」が刃向かう……というストーリーは、他で見たことがありません。

 私は純粋に、この「岩盤規制を敷く者(官僚や産業構造)」が「岩盤規制を緩和する者(政治主導や産業競争力会議的なモノ)」へ刃向かうところを応援したいと強く強く思うのです。



 もちろん、加計学園問題についてそういう応援の仕方をしている人はまれで、単に「安倍首相が気に食わない」というモチベーションで叩く人間が多数であることは承知しています。

 また、そうした連中は「安倍叩き」と同時に「官僚叩き」「自民党叩き」「既得権益叩き」にも「ヘイト」を燃やすことも承知しています。

 が、単なる安倍叩きのヘイトでも、上記ストーリーを完成させる力学となるならば肯定的に見ておこうとは思えます。

(※そこが、この問題の森友学園問題とは違うところです)



 逆に、ここで前川氏の人となりを「天下りモノだ」とか「出会いバーに行っていたヤツ」などとして文句をつけ、安倍擁護に回るのは卑怯です。

 というのも、(第一に「天下り」がそんなに悪いことであるとも思わないというのもあるのですが)ここではこの人自体がどのような人物であるかは関係がない。

 前川氏が「かつて文部科学省のトップであった」という事実は事実なのであり、その上で加計学園問題の「官邸の意向だ」という文章について知っているというなら、それだけで重大な証言と言えますでしょう。

 そんなに嘘だというなら証人喚問すれば良いのです。



 あるいは、「中国からカネを貰っているに違いない」みたいな話に至っては言いがかりでしかありませんね。

 こうした前川バッシングは「ホシュの安倍擁護」に加えて「規制緩和論擁護」の力学も織り交ざっているように見えます。



 ◇◆◇



 もっとも、私は「証拠不十分」や「これでは首相の責任とまでは言えない」という筋での首相擁護ならば、論理的には整合すると思うのですよ?

 しかし、規制緩和論を前提にした人間が、安倍擁護のホシュ派に媚びを売るように「前川氏は中国、韓国からカネをもらっているに違いない。それだけ安倍さんが怖いのだ」みたいなことを言うのは、まったく噴飯ものと言う他ないのです。


(了)


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北朝鮮は核開発をしているから国際社会の敵なのか?   

 
 北朝鮮がミサイル実験を繰り返しています。
 
 これは隣国である我々日本人目線にとって脅威であることは間違いない。
 
 また、現在の日本の北朝鮮に対する最重要項目は「拉致被害者を取り戻そうとすること」です。
 
 そして、優先順位としては「今、日本にいる日本国籍を持った人間の生命と財産を守ること」はその次であるべきでしょう。
 
 すなわち、太陽視点で言えば、
 
「たとえこちらにいる日本国籍人が何万人死のうとも、拉致被害者数百名を取り戻そうとする」
 
 という態度が、北朝鮮の拉致が判明した後の日本国家には求められていた。
 
 
 ただ、これが「国際社会目線」ということを考えると、北朝鮮のミサイル実験や核開発の何がイケナイことなのかよくわからない部分がありますでしょう。
 
 だって、地球上で核ミサイルを持っている国家は、アメリカを筆頭にわんさかあるわけです。
 
 何故、北朝鮮が核兵器を持つことが国際社会にとってイケナイことなのか。


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 例えば、今から十数年前、私がまだ学生だった頃にイラク戦争というのがありましたけれど、あの時、何故「イラクが核兵器を持つことが悪だ」みたいな話になっていたのか。
 
「大量破壊兵器を持っているに違いない」
 
 と言ってアメリカがフセインを滅ぼした後、結局イラクから大量破壊兵器は見つからなかったというのが歴史でした。
 
 が、たとえイラクが核ミサイルを持っていたのだったとしても、それの何が「悪」だったのでしょう。
 
 その基準で言ったら、世界最悪の「極悪国家」はアメリカ合衆国だということになるじゃないですか。
(その意味では正しい基準なのかもしれませんが)
 
 
 
 ただ、よくよく考えてみればそりゃあそうなのです。
 
 だって、「核兵器の保有国」は、まだ核を持っていない国に対しては核を持たせないようにしたいと思うに決まっているからです。
 
 当然ながら、「核保有国」の「核を持っていない国」に対するアドバンテージは、「核を持っていない国が、核を持っていないから」存在するのです。
 
 そういう意味で、「核不拡散」という都合は、原理的に言って「核保有国の都合」であるわけ。
 
 言い方を変えると、核不拡散は核保有国の核による脅しによって成されてきたということでもある。
 
 
 
 でも、それは核保有国視点から見た都合でしょう。
 
 核を持っていない国家からすると、なんとか核を開発して核保有国の言うなりになるのを避けたいと思うに決まっている。

(日本とかいう国はそう思わんらしいくて、「政府が核を持つと自分が国家により制限される可能性が上がってイヤだ」という大衆の請求が国家主権として発揮されているようですが)
 
 まあ、これも核を持っていない国家の都合だから必ずしも善とは言われないかもしれないが、必ずしも「悪」とも言われないはずでしょう。
 
 
 
 だのに、何か中立的社会として想定された「国際社会」なるものが「核を持っていない国家が核を持つ」というだけでこれを「悪」とみなすのはちゃんちゃらおかしい。
 
 それは、その「国際社会」なるものが実は単なる「国際社会の強者(核保有国)の都合」(とりわけアメリカの都合)であるからだと見なさないわけにはいかなくなる。
 
 すなわち、この場合「国際社会」は、
 
「現在強いことになっている国家に対して、弱い国家が力で逆らおうとすること」
 
 を「悪」としていることになるのです。
 
 
 ・
 
 
 この「国際社会の強者(核保有国)の都合」を前提として、北朝鮮ミサイル実験を非難する連中を私は信用しません。
 
 そもそも北朝鮮だって国家なのですからミサイル実験をすること自体はなんらおかしな話でもないのです。
 
 経済制裁を解除せよ、さもないと……という脅しをしているから悪というのもおかしくて、そもそも「北朝鮮の核開発に対する、アメリカを中心とした経済制裁」が核保有国側の不当な抑圧だというあちらの言い分は一理あるかもしれないでしょう。
 
 
 
 だから、我々は北朝鮮のミサイル実験そのものを「国際社会への挑戦」として非難することはできないのです。
 
 我々ができるとすれば、

1「北朝鮮そのものが問題ある国家である」

 ことを言った上で、だから、

2「問題ある国家が核を保有するのは問題である」

 と論理付けなければならない。

 また、北朝鮮が問題ある国家であることは拉致問題を言えば事足りるのであり、「社会主義だから」とか「民主主義じゃないから」とか、そーゆー民主的な筋に足をすくわれるのもヤメテ欲しい。



 繰り返しますが、我々は北朝鮮の「核保有そのもの」を悪として非難することはできないのです。

 もし現時点の我々がアメリカや中国のような核保有国であればそれでよいかもしれません。

 が、我々日本国家は「これから核を持っていこうとするべき国家」なのですから、新たに国家が核保有することそのものは否定すべきではないのです。

「北朝鮮に問題があるから、問題のある国家が核を持つのが問題である」

 という筋立てが、(少なくとも我々日本人の間だけでも)是非とも前提されるべきなのであります。

 また、そこがアメリカと日本の

「利害が一致しない点」

 であると想定されるべきなのです。


(了)

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共謀罪法案には賛成しておくべき 

 そういえば私は、共謀罪(テロ等準備罪)は方向性として大賛成です。

 そのあたりは、保守系の人たちと意見は一致で、

「真面目に審議をやっていないのは野党だ」

 というふうに見える。


 野党が真面目にやっていない……という意味は、彼らが「法案そのものを拒絶する」ことに固執し、駄々をこねるのみだからです。

(だからと言って安倍政権を支持しなきゃならんという話ではありませんよ。第一、「自民党総裁の入れ替わり」という道もあるのですから、「野党がダメ」→「安倍支持」というのは論理的におかしい)


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夜月


 確かに、共謀罪にはそれなりの危険性があるように思われます。

 組織的テロ犯罪と言えど、警察権力へ「犯罪前の捜査」の権限を与えるわけですから、国民のプライバシー権や、場合によっては表現の自由も毀損される可能性もないともいわれないでしょう。



 しかし、世の中にはこうした「個人の人権」以上に大切なものはあるのです。

 個人の人権より大切なものとは、「日本国家全体を存続させる」ことです。



 ならば、もし共謀罪が「国民の個人のケンリを毀損する可能性」と引き換えに「日本国家全体を存続させる」ことに資するものであるならば、政府はそうすべきなのです。

 何故なら、政府の最終目的は「日本国家をこの先も千年存続させること」だから。


 ただ、もちろん「日本国憲法」を字面どおり解釈すれば、この方向は許されません。

 日本国憲法は「基本的人権のための国民主権」を謳っているのであり、

「日本国家の存続」<「一人一人のケンリ」

 という姿勢を、政府へ強いるものである。


 だから、一人一人の日本国籍民によって日本国憲法を押し付けられている日本政府は、なんとかこの日本国憲法を誤魔化して解釈して、

「日本国家の存続」>「一人一人のケンリ」

 という態度を活かそうとしなければならない。

 まだ日本政府が存在すると解釈するならば、そういう位相があって然るべきはずなのです。



 そういう意味で、国家は、政治権力によって「通常の刑法を超えた秘密的な取り締まり」をやらなければならないはずなのです。

 共謀罪(テロ等準備法)は、基本的人権を最終目的とした通常の刑法から見れば異質ですが、「国家に通常の刑法を超えた秘密的な取り締まりが必要である」ことを認めればごく当たり前の話になりますでしょう。

 こうした話は、たとえば「スパイ防止法」などとも共通する話です。



 もちろん、これは「方向性として正しい」という話であって、「安倍政権の共謀罪」に法律的な精度の甘さなどがあるとすれば、修正を求めるべきでしょう。
(細かな法律的なことは、私には難しくてよくわかりませんが)

 また、個人の人権は「政府の最終目的であるべきではない」というだけで、近代国家を成り立たせるために大切なものではあります。

 ですから、法制上、個人の人権へできうる限りの配慮を施す努力は求められるべきでしょう。


 しかし、共謀罪のような法制を肯定する「政府観」をもっておくことは、それなりに大切になってくると思うのです。

 それは、憲法改正や教育基本法改正の「方向性」そのものだけは、(安倍政権が行うこれらの内容の良し悪しとは別問題で)一声認めるべきだというのと同じなのです。



(了)


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Janre: 政治・経済

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憲法問題と属国民のホンネ 

 
 そもそも私は、日本国憲法というシロモノが大っ嫌いなのですが、まずここでその「私なりの憲法の嫌い方」というのを簡単に開陳しておくのも、無駄なことではないでしょう。
 
 と言うのも、世の中の多くでされている九条二項の「非武装、不交戦」と、前文二段落目の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、我らの安全と生存を保持しようと決意した」という二つのポイントは、別に日本国憲法における腐食の震源地ではないと考えるからです。
 
 そして、私から見ると、九条二項や前文二段落目の「平和を愛する諸国民……」の方ばかり論じられて、その腐食の震源地があまり論じられていないというのは、少なからず不満なのです。
 

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 ピストル

 
 確かに、九条二項の非武装、不交戦は激烈なものがありましょう。
 
 でも実際、今の日本も戦車や鉄砲で武装しているし、平和を愛する諸国民などと本気で信じている者はリベラルですらごく少数だと思います。
 
 リベラル……というより、多くの現代日本人は、「徴兵される確率を一パーセントでも下げておきたい」というような下等な心持ちから、「日本国憲法によって政府を制限しておきたい」と考えていやがるだけでしょ?
 
 だから、自衛隊が国民(自分)の安全と生存を護衛してくれる領分については、リベラルも現代日本人も強いて反対はしないのです。
 
 そんな中、安倍首相を含めて現在の保守の滑稽さは、架空のサヨクを敵に見立て「この憲法では国民の安全と生存を守れない!」とやるところだと思います。
 
 
 
 すなわち、現代の日本人ですら、九条二項と前文二段落目だけはお題目として、実質的にある程度無視する……というような(狡猾な)常識は持ち合わせているのです。
 
 これは現代でも、保守も、リベラルも、フツーの人も、おおよそ一致して、暗黙に了解していることです。
 
 そりゃあそうですよ。
 
 だって、「九条があるけど、外国が攻めてきたらどうするの?」くらいのこと、小学生だって思います。
 
 でも別にそれは「立派な常識」などではなくって、単なる反射的な「生き残り勘定」でしょう。
 
 問題と言えば、まずここが問題なのです。
 
 つまり、現代の日本人も、「外国から攻められた時には、国民(自分)の安全と生存を守れ!政府!」と請求することだけは余念がないということに過ぎないということ。
 
  そしてそれは、自衛隊の最大目的を「日本国民一人一人の安全と生存を守る」ことへ置くことを前提とするような態度を容認してしまうことにもなりかねません。
 
 そもそも、生命以上の価値を設定せず、こうして自衛隊を「公営用心棒」のように前提する仕方は、「日本人の生命によって日本人の生命を守る」ということに最終的な正当性を見出だしえませんから、してはならないやり方だと思うのですが……。
 
 
 
 ただ、このような不道徳な常識の上ではありますが、日本国民は現在であっても「九条二項と平和を愛する諸国民の前提はある程度無視する」という暗黙の了解の上で日本国憲法を使っている。
 
 すると、もし、日本国憲法の根幹が、九条と平和を愛する諸国民にあるのだとすれば、別に憲法がこのままでも問題はないということになりますでしょう。だってそこはある程度無視して使っているんですから。
 
 不都合があれば、内閣法制局の解釈でもっと無視してゆけばいいだけということになる。
 
 
 
 ただ、それでも日本国憲法がクソッタレ憲法なのは、平和を愛する諸国民のタテマエの、さらにもう一つ奥に別の重大な「腐りの震源地」があり、それが我々の『属国民のホンネ』とも言うべきものにとって極めて都合のイイものだからです!
 
 
 
 なるほど、みなさん前文でも二段落目の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、我らの安全と生存を保持しようと決意した……」という部分についてはいろいろおっしゃる。
 
 しかし、ならばそもそも、このあまりにも有名な「平和を愛する諸国民……」という部分は、一体どういう文脈の上で書かれなければならなかったのでしょうか?
 
 当然、ある文章の二段落目を理解するためには、一段落目を読めば良いのです。
 
 そして、前文一段落目の核心部分はここにあります。
 
《政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。》 (日本国憲法・前文 第一段落目)
 
 ここです!ここです!日本国憲法はこのテーゼから始められているのだし、憲法全体のキモ中のキモ、核心中の核心、腐食の震源地もここなのです!
 
 そして、これは「属国民の刻印」とも言うべき「魔の裏取引」の言葉なのです!
 
 
 
 そもそも、(普遍的な体を取り繕おうとはしていますが、)これはどう解釈したって、先の大東亜戦争を指さして言っているとする他ないでしょう。
 
 つまり、『二度と戦争の惨禍が起こらぬよう』と言っているそれは、どう考えたって「大東亜戦争」を引き合いにして言っているのであり、また、その『政府』とは、「大東亜戦争を主導した政府のこと」とする他ない。
 
 すると、もう少し丁寧に表現し直してやればこういうことになりますでしょう。
 
「悲惨なる大東亜戦争を引き起こすような日本の悪い政府は『何者か』にやっつけられて、(平和を愛するはずの)非政府の日本国民はその悪い政府から解放され、解放された人々全員に主権があると確認された」
 
 と。
 
 
 
 ここでとりあえず、有名な憲法前文二段落目「平和を愛する諸国民」のタテマエが、何故必要とされたのかを考えてみましょう。一段落目→二段落目と読み進むのですから、これが正当な順序でしょう。
 
 そもそも、一段落目の「政府の行為によって戦争の惨禍が起こらないようにするよう、国民に主権が存することを確認し……」という裏取引を成立させるためには、「国民に主権があれば悪い戦争は起こらない」という前提が絶対に必要になりますね。
 
 すると、他の国家も「国民に主権がある限り悪い戦争は起こらない」ということにしなければ済まないじゃあないですか。
 
 そうでなければ、日本国民だけがとりわけ平和を愛しまくる国民という話になってしまう。
 
 ならば必然的に「あらゆる国家で、国民に主権がある限り悪い戦争は起こさない」=「あらゆる国家の諸国民は平和を愛する」ということになる。
 
 そして、それでも戦争が起きたのはそうした諸国民の「公正」と「信義」を「信頼」しない日本の「政府」があったからだ……という意味になるのです。
 
 また、これは暗に、「アメリカは民主主義の国であり、国民主権であるから普通にしていれば戦争を起こすはずはなく、日本の「政府」が侵略のために平和を愛する日本国民を戦争に駆り立てたから、アメリカとも戦争になったのである」という理論を支えていることにもなります。
 
 
 
 つまり、この有名な前文二段落目の
 
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我らの安全と生存を保持しようと決意した」
 
 という文は、一段落目の
 
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
 
 の流れの上で、これを強く補足するものとしてあるはずだということ。
 
 
 
 要するに日本国憲法というのは、第一にGHQが「アメリカは、『平和を愛する日本国民』を、『戦争を起こす悪い日本政府』から解放した『解放軍』なのだ」と言いたい都合のためにしつらえられたもののはずなのです。
 
 でも、そのこと自体は別にどーでもイイこと。
 
 憲法前文は完全無欠にGHQが書いたものを直訳しただけなんですから、これがアメリカにとって「認めさせたいストーリー」から書き始められているというのは、ごく自然かつ当たり前のことでしょう。
 
 
 
 問題は、第二に、これが日本で生き残った「非政府の日本人」と「その子孫たちすべて」にとっても、一種都合の良いストーリーである可能性があるということです。
 
 その可能性とは、『戦争を起こす悪い日本政府』から解放された側の『非政府の国民』として解放民としての(属)国民主権を謳うことに、ウマ味を感じていやがるという可能性です!
 
 つまり、「解放軍の都合」と「解放民の都合」が合致して、あらゆる瞬間瞬間の戦後日本国籍民とGHQとの間で断続的に「裏取引」が成立してしまっている可能性。
 
 
 これは恐ろしいことです!
 
 
 そもそも、このストーリーを完全に呑んでしまった時点で、我々は『敗戦国民』から『属国民』へと成り下がるわけでしょう?
 
 でも、このストーリーは、我々にとって蜜のごとく甘く、真綿のごとく重たく、傾国の美女のごとく媚びついて、これを保持するためならばあらゆる道徳をズルズル手放してしまえるほど魅力的です。
 
 クセになり、いつの間にか「決して手放したくない」と思う麻薬のようなストーリー。
 
 そして、七十年もたつと、慣性の法則によって、これが当たり前の基準と前提されてしまうようにもなる。
 
 また、このストーリーに反しないという基準の上で道徳がしつらえられるから、かつての道徳が不道徳に、かつての不道徳が道徳に……と、道徳の価値反転現象が起こってくる。
 
 道徳は暴力と切り離され、薄っぺらになり、人間は安っぽくなる。
 
 何故こんなことになるかと言えば、このストーリーが「属国民として安全と生存を保持するため」には極めて都合が良いからです。
 
 あえて、「悪い政府」をやっつけた『何者か』を強調しさえしなければ、『何者か』の暴力的背景の加護の下(あるいは『何者か』をも包摂すると空想された地球、集団安全保障的な国際社会なるものの加護の下)、我々は解放民としての(属)国民主権を謳い続けることができるのですから。
 
 さらに言うと、属国民主権としての最大のウマ味とは、「自分たちで組織した政府によって、暴力に関係する道徳を判断しなくても済む」という怠惰のウマ味です。
 
 そもそも、「暴力に関係する道徳を自分たちで判断するために、国内の最大暴力機関を背景として政府を形作らなければならない」というのが独立国であることの一番の大変さであるわけです。
 
 だが、属国民でありさえすればこれを最終的に政府によって判断しなくても『何者か』が基準を決めてくれるから楽チンというわけです。
 
 でも、これでは人間として死んでいますでしょう。
 
 
 
 私は、この恐ろしさを、昭和時代までの日本人はどこかで察知していたように思われるのです。つまり、「自分のホンネがもしそのような邪悪なモノから来ているのであったらどうしよう……」という恐れです。
 
 これが、昭和期の日本人の、良心と換算して然るべき『常識』というものだったのではないでしょうか?
 
 そして、月視点でこのことを望めば、この常識が霧散した時点で日本は敗戦国から属国に成り下がったのであり、属国に成り下がるということは長期的に見て日本をあきらめるということなのです。
 
 
 
 ・
 
 
 
 上記のごとく、天地に誓って日本国憲法はクソったれ憲法です!
 
 何故なら属国民のホンネにとってこんなに都合のイイものはないからです。
 
 
 
 だから、「このままなんとなく日本国憲法を容認する」という態度だけには抵抗しなければならない。
 
 でも難しいのは、昨今保守派に跋扈するような「日本国憲法を変えれば何かが良くなる」という雰囲気に流されるわけにもいかないということ。
 
 と言うのも、大事なのは「属国民のホンネに逆らうこと」であり、その「改憲」がより属国民のホンネを延長させるためのものであったなら、それは「日本国憲法をより日本国憲法にしている」だけだからです。
 
 たとえば、「9条2項を維持して自衛隊を明記」などという安倍首相の改憲案などはまさにそれです。
 
 これは、「属国民のホンネの都合を補強している」ことであり、すなわち「戦後レジームを補強している」ことに他なりません。
 
 
 
 繰り返しますが、大事なのは「属国民のホンネに逆らう」ということなのです。
 
 改憲の基準はそこにあるべきであり、属国民のホンネに逆らう改憲が「良い改憲」であり、属国民のホンネを補強する改憲が「悪い改憲」なのです!
 
 
 
 ただ、法律上ではこれは無理なのだということはわかっています。
 
 何故なら、日本国憲法には改正条項というのがありますが、ここでは最後に時の国民に対して国民投票にかけることとなっている。
 
 すなわち、国民投票で過半数を得るような改憲しか、法律上はなされないのです。
 
 
 
 しかし、その「時の国民」に対して「属国民のホンネ」という話をしても、みんなニヤニヤと話を逸らしたりしてゴマカすでしょう。
 
 ゴマカしておかないとみんな心が壊れてしまうから。
 
 すると、「属国民のホンネに逆らう改憲」というのは、法律上では論理上、絶対不可能ということになってしまう。
 
 我々は国家が霧散し切るまで属国民をやり続けるほかないということになってしまう。
 
 
 絶望というのは、こういうことを言うのです。
 
 
 ただ、それでも日本をあきらめない以上、我々は我々自身の『属国民のホンネ』と闘い続けなければならないのですけれども。


(了)

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