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日本が日本であるために

主に政治、経済、時事、国家論についてなどを書きます。日本が日本である、ということを主軸に論を展開していきたいです。

 

政府の赤字財政を拡大するには「公共土木事業を増やす志向」と「税率を上げない志向」がある 


 まず、

1
「デフレの時には赤字財政を拡大しなければならない」

2
「少なくとも日本の中央政府の国債が金融的に破綻する心配はない」

……という2点は大前提にします。




 でも、そのことが認められても、これには以下の二つの志向が論理的に考えられます。

 1つは、
「税率を上げない」
 という志向。
 あるいは、減税の志向です。

 対して、2つめは
「公共土木事業を増やす」
 という志向。



 これは「両方やれば良い」とおっしゃる方もおられるだろうし、私とてそうは思いますが、『どちらがより重要であるか』という認識は、しっかり持たれていなければなりません。


 これはすなわち、税金を増やさないことなんかより、『政府が公共土木事業の支出を増額すること』の方が、デフレには百倍重要なことなのです。



 ここを、単なる「税金を上げない論」に終始してしまうと、単なる「財務省悪玉論」と単なる「金融政策論」に抱きつかれてしまいます。

 すると、結局、政府の公共土木事業の支出は拡大されず、ゆえにデフレは克服できないということになる。

 そして、デフレという短期の問題を克服しない限り、日本のいかなる長期的なことも実現不可なのです。


 でも、ずいぶん前からもう誰も本気で日本をやっていこうと思っていないということは百も承知ですから、またみんなはぐらかすってことくらいわかっていますけれど。




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藤井聡教授のシンゴジラ批判 


 今日、ちょっと前のものだけど、京都大学の藤井聡教授の『シンゴジラ』批判を見ました。
 チャンネル桜の討論みたいなやつがまとめられているユーチューブの動画です。

 私はシンゴジラは見ていないのだけれど、この批判は面白かった。

 だからと言ってシンゴジラそのものを見ようとは今のところ思わないですけれど。



 私には、映画や漫画や小説に対して「これは見てもムカつくヤツだ」という察知能力のようなものがあって、そういうものは精神衛生上見ないようにしているのだけれど、こういう面白い批判を見ると「ちゃんと見て、ちゃんとムカついておくことも重要かな」とも思えてきます。


 そういえば、ちょっと前に『永遠のゼロ』というのが流行っていましたが、これは読まなくても確実に腐臭を放っていることがほぼ間違いなく察知できるシロモノでした。

 でも、ものすごく流行っていましたから、その察知される腐臭の実際を見極める必要があると思って、結局『永遠のゼロ』は読んだ……ということが何年か前にあったのです。

 そして予想どおりムカつくことになった。

 そのムカつきを自己解釈してみることでそれなりの果実を得たとは思うけれど、でもこれは相当の精神的疲弊でした。



 だから、そういうムカつくであろうと察知される物語をあえて鑑賞して、「ちゃんとムカつく」ということはとても重要なことだけれども、精神的な消耗はかなり激しいので、そのあたりエネルギー配分をしておかないとたぶん病みます。

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私の共同体論(2) 


 そもそも、「昔の年寄りは上等だった」となると、何故、そんな上等な年寄り達の後裔たる現在の年寄りがこうもチャラチャラしているかの説明がつきません。

 また、年寄りを含めた大人が、こうも子供っぽいかの説明がつきません。

 昔の年寄りが上等なら、自然の流れとしてその上等な人々の育てた子らもそれなりに上等であるとしなければおかしいはずです。

 でも、一貫して日本の人間が下等になっているのは目に見えて明らかなのだから、その現実をどう捉えるのかというのが重要になってくるはずです。



 そう考えると、やはり共同体のことを考えないわけにはいかない。

 そもそも、人間は個人で浮遊して生きているのではないのだから、その個人にしろ人との関係性において醸成されていくものです。

 分母を多くとれば、その関係性の循環がいろいろな層でうまく回っている時は、個人個人の質もそれなりのものに醸成されていく可能性が高い。

 逆に、その関係性の循環が悪くなったり、希薄になったりすれば、個人個人の質も悪化する……どころか、「質の高い個人とは何か」という前提すらわからなくなる可能性が高い。

 関係性における前提を適切に踏まえられないのが子供であると言って許されるのなら、大人や年寄りが子供っぽくなっているのはその辺りに根本原因がありそうだと、アタリをつけることができます。


(つづく)

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Thread: 政治・経済・社会問題なんでも

Janre: 政治・経済

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私の共同体論(1) 


 今思えば私の子供時代、昭和後期から平成の初期……ほんの二十年から三十年前でも、昔の年寄りというのは、なんと立派だったことでしょう。

 昔の年寄りは、近頃の年寄りみたいにチャラチャラしていなかった。

 たとえ当時スマートフォンが市場に出ていたとしても、昔の年寄りは見向きもしなかったに違いありません。

 昔の年寄りは、新しいものに飛び付いていかないで、生活の色々なことを知っていて、場をわきまえるということが上手で、言葉づかいも巧みで美しかった。

 着るもの、身に付けるもの、所作、ふるまい、色々なところに土地や文化や人間交際の素養が息づいていた。

 そして、生活的に神仏を信じていたものです。



 そういうわけで、昨今はまったく決定的に年寄りが滅びた時代なのです。

 今の年寄りは単なる若者の劣化バージョンで、皺の出た分、若者に劣る存在でしかない。

 でも、そんな今の年寄りが可哀想なのは、別に彼ら一人一人が生まれつき悪いヤツだったから年寄りになれなかったというのではないからです。

 近頃の年寄りがチャラチャラしているのは、彼らが年寄りになるために得るべきリソースを、土地、国家、共同体から得ることができないまま浮遊した市民的人生を送らざるをえなかった結果、年寄りになれなかったということに違いないのです。

 すると、土地感覚、国家観、共同体の網の目がより霧散してしまった昨今を生きる我々は、その中でリソースをまったく獲得できていないことになりますから、もはや日本人は、子供は大人になれず、大人は年寄りになれない国家だということになります。

 30年後、40年後、私が年寄りになった頃には、少なくとも今の年寄りが年寄りでないという以上には年寄りでないだろうし、国土の上から日本の大人は消失しているでしょう。

 これは非常に醜いことです。

 国家が滅びてゆくというのは、人間が醜くなってゆくということなのです。


(つづく)

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ブログ更新を再開しようかと思います 

 長らく更新しておりませんでしたが、ブログを再開しようかと思います。

 ブログという形では「自分の研ぎ澄ませた考え」みたいなものを発表しても意味が薄い気がしていたし、精神衛生上にも悪かったので、更新を止めていたのですが、自分なりに愛着のあったブログでしたし、もう少し気楽に違った雰囲気で再開すれば気分転換にもなるかなあと思い始めたわけです。

 あと、ブログは休止していましたが、文章自体は続けていました。

 それに、基本的な考えは変わっていないので、別に以前と何が変わるかといったら変わるところもないかもしれませんが、もう少し一般的に広くコミットできるように短文で簡単なことからサッ、サッと書いて行こうかと思っています。


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